きれをより出して、これに銅板を釘でうちつけ、鉄釘の先をとがらせたものを、ペンのかわりにして、この銅板に、「パール・エンド・ハーミーズ礁、龍睡丸《りゅうすいまう》難破、全員十六名生存、救助を乞《こ》う。明治三十二年六月二十一日」
 と、私が日本文で書き、また、おなじ意味を、帰化人の小笠原《おがさわら》に、英文で書かせた。この銅板の手紙(流し文《ぶみ》)を、海に流そうというのだ。
 みんなで、伝馬船《てんません》を沖に漕《こ》ぎ出して、それを流した。
「銅の手紙よ、はやく、どこかへついてくれ。だれかにひろわれてくれ。たのむぞ――おまえには、十六人の、心をこめた願いがかけられているのだ……」
 一枚、一枚、海に流すたびに、伝馬船の上から見送りながら、みんな祈った。
 しかし、この流し文を配達してくれるのは、海流の郵便屋さんだ。いつ、どこへ配達してくれることか。流したところは、太平洋のまんなかで、横浜へも、アメリカのサンフランシスコへも、おおよそ五千キロメートルはある。しかし、海水のつづくかぎり、いつかどこかへ、流れつくにちがいない。風も手つだって、ふき送ってくれるだろう。流し文に、みんなは、切なる希望をつないだ。

 銅板の手紙は、おひるごろに流した。午後の学科の時間に、私は、「なぜ船底に、銅板をはるか」という話をした。
 陸の人の、ちょっと気のつかない船の底――船の海水につかっている部分――には、海藻類や貝類がくっつく。それがだんだんに成長して、船底いちめんになって、船底板が見えなくなってしまう。ちょうど、地面に雑草や苔《こけ》がいちめんに生えて、地はだが見えなくなるのとおなじだ。こうなるとすべすべした船の底板が、ひどくざらざらになって、すべらなくなるから、船の速力が出なくなる。帆船もこまるが、汽船では、よほどたくさん石炭をたかなければ、船底がすべすべしている時のように、走れなくなる。
 木船だと、またこの上に、船食虫《ふなくいむし》という虫が、船底の木板を食って小さなあなをあけ、その中に住むようになる。そして、船底いちめんにあなをあけて、蜂《はち》のすか、海綿のようにしてしまう。これは、おそろしいことで、船の中へ海水がはいってくるばかりか、あらしのとき、荒波とたたかっていた船が、虫食のために船底がこわれて、沈没したこともある。むかし西洋で、軍艦が木船であった時代には、
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