島から西の方に、べつの島のあることを、私は前に海図を見て、おぼえていた。それでみんなにそのことを話して、
「その島を、探検しょう」
 といった。探検ときくと、一同、われもわれもと、行きたい者ばかりだ。
 そこで、運転士と水夫長とにるすをたのんで、私と漁業長とは、櫓《ろ》を漕《こ》ぐことの達者な者四人をえらんで、探検に行くことにした。用意は、いちばんたいせつな飲料水として、雨水を石油|缶《かん》に一缶。井戸ほり道具、宝物のようなマッチの小箱一個、まんいちの食糧として、缶づめ数個、つり道具。これを伝馬船《てんません》につみこんで、六月二十日の朝、天気のよいのを見きわめて、いよいよ出発した。見送る者も出かける者も、真心をこめたあいさつがかわされた。
 小さな伝馬船で、海図も羅針儀も持たずに、おおよその見当をつけて、なんの目標もない、太平洋のまんなかへ乗りだして行くのだ。こういう場合、羅針儀はなくても、正確な時刻と、太陽の位置がわかれば、おおよその方角はわかる。しかし今は、時計もないのだから、おおよその時刻と、太陽の位置によって、方角をきめ、頭の中にえがく海図とてらしあわせて進むのだ。
 めざす島は、ひくい小さな砂の島だ。三キロメートルもはなれたら、見えはしない。少し方角がそれたら、島はもう見つかるまい。広い広い水の世界から、細い針でついたほどの小さな島を、さがし出そうとするのだ。らんぼうだと思えるだろう。じっさい、こういう航海は、ただ考える力と胆力にたよる、いちばんむずかしい航海術なのだ。しかし、海の上で経験をつんだ、きもったまの太い日本海員は、こういう探検に出かけるとき、どんなことがあっても、きっと島をさがし出す、という強い信念をもって出発するのだ。
 われらは、西だと思う方へ、海流にさからって櫓を漕いだ。二時間も漕いだ。龍睡丸《りゅうすいまる》が難破した岩のところを通りこして、ずんずん進んだ。それから先ははてもない、ただ水と空。伝馬船は、強いむかい潮を正面から受けて、およぐように進んで行った。だが、島はさっばり見えない。
 龍睡丸が難破した岩から、三時間ぐらいも漕いだ。太陽は頭の上にある。正午だ。それからまた二時間。午後二時ごろだ、しかし、まだ島は見えない。
 みんな前の方の水平線を見つめている。からだじゅうの神経が、目ばかりに集まったように、いっしんに見ている
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