うしたの! え、お母さん。』と、その袂を掴んではげしくゆすつた。
『こないだの猫がまた來て、今度は雄鷄を捕つて行つたのよ。』と、母は私にも腹だたしく返事しながら、『ほんとに太い畜生だ、人のゐる前でも何でも飛びかゝつて來るんだから、よつぽどあれは年功を經た猫だわい。』と、殘りをしさうにしてゐた。
 私は直接自分の目に見なかつたその出來事を、半分信じて半分疑ひながら、たゞ默つて二人の顏を見くらべてゐた。そしてその日はそれからおやつを貰ふのも忘れて、猫に捕られた雄鷄の事を考へてゐた。大人達のいふ、惜しいことをしたといふ感じよりも、私にはたゞたゞあの元氣な雄鷄がどういふ風にして死んだかと考へられ、その目を瞑つてぐたりとなつてる姿が目にうかび、鼠を喰べるやうにぼりぼりと喰べられたのかと思ふと、かはいさうでならなかつた。私は長いこと倉の戸前の石に腰を掛けて、ぼんやりと猫に捕られたといふ雄鷄の事や、先刻自分の後について來た白い雌鷄の寂しさうだつた事などを考へてゐた。
 日が暮れて、私達四人の家族が、味噌汁の煙に曇るランプの下で夕餉の膳に向つた時に、母が畑の見まはりに出てゐた父の留守に起つた鷄の一件を、再び忌々しさうに繰り返した。
『まあ仕方がない。どうせ放して置けば取られるんだから、はあ、後は飼はないことだ。』と、父が言つた。
 私は無論内心それに不服はなかつた。なぜなれば、あの白い雌鷄にふさはしかつたあの若い雄鷄を除いては、もう決して他の猛々しい雄鷄を彼女にめあはせるのは、かはいさうのやうな、惡いことのやうな氣が自然にしたからであつた。その時私は、胸のうちにひそかにあの寂しい白い鳥を抱きしめてゐた。
 さて、私は最後にあの白い雌鷄との心ない別離を叙さなければならぬ。
 それはやつぱり私が學校から引けて歸つて來た時のある午後のことである。どこからか貰つたお赤飯の一皿を、佛壇からおろして(佛壇に乘つてるものは、大抵私のとして取つて置かれるものであつた。)無茶な運動のあとの空腹においしく喰べながら、私はふといつも庭に見當る白い姿がないのに氣がついた。そしてその最後の一口を、彼女にやるつもりで掌に握り、裏の方へと搜しに出かけた。
 母は裏口の日蔭に席を敷いて、盥の中で眞綿をかけてゐた。私は『とうとうとう。』と呼びながら草履の音をぴたぴたといはせて、藏のうしろや、木小屋の中や、臺所の梁の
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