上まで搜し廻つた。けれども、あの見なれたひそやかに寂しい姿はどこにも見えなかつた。もしやと思つて小屋の中を覗いて見ると、汚くなつた巣卵が、藁屑の上に轉がつてゐるばかりで[#「轉がつてゐるばかりで」は底本では「轉がつてゐかばかりで」]、やつぱりそこにもゐなかつた。
『鷄がゐない、お母さん。』と、私は、もうぼんやりあることを感じながら、母の前に立つて言つた。
『さうだ、先刻から見えない。』と、母が言つた。
『どこさ行つたの?』
『どこさ行つたか分らない。ひとりでゐなくなつてしまつたんだ。』
 私は強ひて餘計な詮議だてはしなかつた。
 その儘ぼんやりと立ちふさがつて、母の手元を瞶めてゐた。いつもたくみに指先を働して、茹でた繭を開き、中の蛹を取り棄てゝ板の四隅に張りかけるのを見てゐると、自分もやつて見たくてたまらなくなるのだけれど、今日はたゞ默つてそれを瞶めてゐるのであつた。
 ふと掌に何か握りしめてゐるのに氣がついて開いて見ると、彼女に投げてやらうと思つた赤飯の殘が、手の垢に汚れて眞黒くなつてゐるのであつた。それを見ると、私はまた急に白い雌鷄の行方が案じられた。
 私はひとりでにゐなくなつたといふことを、決して信じはしなかつたけれど、その癖やつぱりなぜともなく、彼女が、見えなくなつた雄鷄を探ねて、どこともなくぽつぽつ歩き去つたその寂しい姿が眼に見えてならなかつた。
 さうして私は今でもなほ、彼女が賣られたものと現實的に考へるよりは、雄鷄を探ね探ねて、つい行方知れずになつたものと考へたいのである。



底本:「叢書「青踏」の女たち 第10巻「水野仙子集」」不二出版
   1986(昭和61)年4月25日復刻版第1刷発行
親本:「水野仙子集」叢文閣
   1920(大正9)年5月31日発行
入力:小林徹
校正:柳沢成雄
2000年2月22日公開
2006年4月19日修正
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