のいた。そしてその白いものが、大きな斑猫だと分つた時に、私は初めて、
『あつ! 大變だ大變だ!』と叫んだのであつた。
脅された鷄の聲の烈しさに驚いて驅け出して來た母は、
『あつ、こん畜生!』と言ひながら、引きずるやうに鷄を喞へて行く猫を追ひかけたけれど、猫はすばやく隣の塀の下を潜つて、どこかに見えなくなつてしまつた。
私はただあつけに取られて、何が何だか分らないでゐたが、ふと見ると、白い雌鷄が不安さうに胸に波打たせてゐるので、まあよかつたといふやうな氣がした。猫に捕られたのは、あの意地のわるい茶色の雌鷄だつたのである。
しばらくしてから私は母として隣の家の庭まで搜しにいつて見たけれど、勿論そこらにぐずぐずしてゐるわけはなし、またどこの猫かも分らなかつたので、私の家ではそのまゝ泣寢入になつてしまつた。
この思ひがけぬ出來事のために、彼等はまた一夫一婦の平和な生活に還る事が出來た。そして永久に平和であるべき筈であつた。けれども、美人は薄命であると、私はこの白い美しい雌鷄についても言ひたい……
鋭い猫の牙に咽喉笛を切られた茶色の雌鷄の記臆は、もう次の日から彼等の間に影も見えなかつた。家の者達が注意して裏庭には出さないやうにしたので、一日内庭の固い土の上を仲好くあさつて歩き、時々勝手の上り框に載つて餌をくれと人にせがむやうな顏付をしてゐた。ある時はまた表の軒下に置いた荷車の下で、土を浴びながら羽蟲の取りこなどをしてゐた。
かうした日の連續なるある日、門口で友達と別れた私が、カバンの中の筆入をがらがらさせながら家の中にはひつて行くと、ふと後にひそやかな足音と「とううとうう」といふ聲がするので振り返つてみると、例の白い雌鷄が一人で寂しさうに私の後について來るのであつた。なんだかその姿がいつもに似ず寂しく思へたけれど、別に氣にもしないで、
『唯今。』と、大きくどなりながら上つて行つた。
家の中には誰もゐなかつた。私は例ものところにカバンを掛けて、またすぐに裏に出てみると、母と、それからいつも畑仕事に來る日雇人とが、二人とも手に棒片をもつて、
『ほんとに仕樣のない猫だ、この間で味しめたもんだから……』
『今度また來たらぶち殺してくれつから……したがまあ惜しいことをしやしたなあ、もう一足早いとよかつたんだが……』などゝ言ひ合つてゐるのだつた。
私はどきりとして、
『ど
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