如何《いか》にもかう、初冬《しよとう》の一夜《いちや》といふやうな感《かん》じを起させました。晝のうちはあんなにほか/\と暖《あたゝ》かくしてゐながら、なんとなく袂《たもと》をふく風《かぜ》がうそ寒《さむ》く、去年《きよねん》のシヨールの藏《しま》ひ場所《ばしよ》なぞを考《かんが》へさせられたりしました。時候《じこう》の變《かは》り目《め》といふものは、妙《めう》に心細《こゝろぼそ》いやうな氣のするものですね、これはあながち不自由《ふじいう》に暮《くら》してゐるばかりではないでせうよ。
私の手《て》はいつの間《ま》にか腋《わき》の下《した》に潛《くゞ》つてゐました。私は東明館前《とうめいくわんまへ》から右《みぎ》に折《を》れて、譯《わけ》もなく明《あか》るく賑《にぎや》かな街《まち》の片側《かたがは》を、店々《みせ/\》に添《そ》うて神保町《じんぼうちやう》の方《はう》へと歩いて行きました。ある唐物屋《たうぶつや》の中《うち》からは、私の嫌《きら》ひなものゝ一つである蓄音機《ちくおんき》の浪花節《なにはぶし》が、いやに不自然《ふしぜん》な聲《こゑ》を出して人足《ひとあし》をとめようとしてゐましたが、誰《たれ》もちよいと振《ふ》りかへつたまゝでそゝくさ行き過ぎるのが、「もうぢきに冬《ふゆ》が來るぞ、ぐづ/\してはゐられやしない。」とでもいつてるやうに思へて、なんとなくものわびしい氣持《きもち》がするのでした。
ふと繪葉書屋《ゑはがきや》の表《おもて》につり出した硝子張《がらすば》りの額《がく》の中に見《み》るともない眼《め》をとめると、それはみんななにがし劇場《げきぢやう》の女優《ぢよいう》の繪葉書で、どれもこれもかね/″\見馴《みな》れた素顏《すがほ》のでした。今|初《はじ》めてつく/″\とそれを見れば、長《なが》い顏、丸《まる》い顏、眼のつツたのや口《くち》の大きいのと、さまざまなうちにも、おしなべてみんなが年《とし》を取《と》りましたこと。私は暫《しばら》くたちどまつてぢいとそれらの顏々を見まもりました。なんとなくあさましいやうな、情《なさ》けないやうな氣がしみ/″\として來て、思はず知《し》らず顏がそむけられました。あゝ、さま/″\な批評《ひゝやう》に弄《もてあそ》ばれながら、繪葉書の上《うへ》に老《お》いて行く女優|達《たち》の顏!これらがやがて色《いろ》もなく香《か》もなくなつていつた時には一體《いつたい》どうなるのでせう? それはたとひ、虚榮《きよえい》に誤《あやま》られたその不明《ふめい》が、その人々《ひと/″\》それ自身《じしん》の罪《つみ》であるとはいへ、所謂《いはゆる》新時代《しんじだい》の最初《さいしよ》の犧牲《ぎせい》だと思ひます。さうしてこれはただ人事《ひとごと》ではないのでした。私達《わたしたち》はよく自《みづか》ら顧《かへり》み、自らよく考へなければなりませぬ。
私は歩きながらいろ/\なことを考へさせられました。「不良《ふりやう》少女《せうぢよ》の沒落《ぼつらく》」といふ標題《みだし》の下《もと》に、私達《わたしたち》が前後《ぜんご》しての結婚《けつこん》を×誌《し》あたりに落書《らくがき》されてから、みなもう丸《まる》三|年《ねん》を過《すご》しました。Kさんがまづ母となり、あなたも間もなく母となりました。私は私で相變《あひかは》らず貧乏世帶《びんばふじよたい》の切《き》り盛《も》りに惱《なや》まされてゐます。けれど私達は決《け》してそれを悔《く》いることはなかつたと思ひます。それはある場合《ばあひ》、ある心《こゝろ》の状態《じやうたい》の時には、さういふことも考へないではなかつたけれど、離婚《りこん》をもつてその悔《くい》を償《つぐな》ふものだとは決《けつ》[#ルビの「けつ」は底本では「けし」]して思はなかつたらうと思ひます。
自然主義《しぜんしゆぎ》の風潮《ふうてう》に漂《たゞよ》はされた年若《としわか》い少女が(尤《もつと》もこの自然主義は、新聞《しんぶん》の三|面記事《めんきじ》に術語化《じゆつごくわ》されたものを指《さ》してゐません。その頃の生眞面目《きまじめ》な[#「な」は底本では「は」]文壇《ぶんだん》の運動《うんどう》を言つてゐます。)從來《じゆうらい》の習慣《しふくわん》の束縛《そくばく》を逃《のが》れながらも、猶《なほ》何かを求《もと》め探《さが》してゐる時に、誰《たれ》も一人としてその生命《せいめい》の綱《つな》を與《あた》へてくれるものはありませんでした。その光明《くわうみやう》のある方向《はうかう》さへも、誰も指《ゆび》さしてくれるものはなかつた。私達はどんなにその爲《た》めに悶《もだ》えたでせう!その頃の風潮《ふうてう》からは、たゞ破壞《はくわい》をのみ會得《
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