》れ家《が》を求めようとしました。
 その頃|雜誌《ざつし》「青鞜《せいたう》」は生《うま》れ、新《あたら》しい女といふことが大分《だいぶ》やかましくなつてまゐりました。けれど私達は初めからそれを白眼《はくがん》でみました。なぜならば、少しもそれらの運動《うんどう》や宣言《せんこく》[#ルビの「せんこく」はママ]に共鳴《きようめい》を感ずることが出來ませんでしたから。ひそかに自分達《じぶんたち》の考へはもう舊《ふる》いのだろうと肯《うなづ》きました。さうしてその舊さに滿足《まんぞく》を感じ、光榮《くわうえい》を感じました。吾々《われ/\》は覺醒《かくせい》せりと叫《さけ》ぶひまに、私達はなほ暗の中をわが生命《いのち》の渇《かわ》きのために、泉《いづみ》に近《ちか》い濕《しめ》りをさぐる愚《おろ》かさを繰《く》りかへすのでした。私達はとてもあの人達のやうな自信《じしん》と誇《ほこ》りを持つことが出來なかつた。決して現在《げんざい》の自らの心の状態を是認《ぜにん》することが出來なかつた。
 さて私の結婚|後《ご》の生活《せいくわつ》は、渦《うづ》のやうにぐる/\と私どもを弄《もてあそ》ばうとしました、今猶|多少《たせう》の渦はこの身邊《しんぺん》を取り圍《かこ》みつゝあるけれども、貧《ひん》と心の惱みとに鍛《きた》へぬかれた今(まだ全《まつた》くはぬけ切らぬけれども)やうやくある落着《おちつ》きが私の心に芽《め》を出しかけました。その芽をはぐゝむものは、私の廣《ひろ》い深い愛でなければならないのです。私はまづ第一《だいいち》に夫《をつと》を愛しなければなりません。けれども情けないほど私の愛はまだ淺《あさ》いものです。私は自分の愛のいと小《ちひ》さく、淺く、狹《せま》いのを、恥《は》ぢ、恐《おそ》れ、嘆《なげ》きます。私の今の苦《くる》しみは、私ん[#「ん」はママ]自分に希《のぞ》んでゐる愛の足《た》りなさを、悲《かな》しむ心に外ならないのです。
 また私の胸《むね》に和《やはら》ぎの芽を植《う》ゑそめたものは、一頻《ひとしき》り私の膓《はらわた》を噛《か》み刻《きざ》んでゐたところの苦惱《くなう》が生《う》んだ、ある犧牲的《ぎせいてき》な心でした。その心持《こころもち》は今、私をだん/\と宗教的《しうけうてき》な方面《はうめん》に導《みちび》かうとし、反動《はんどう》の
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