たゞ二人でゐる時の方が、より心持が自然であり、樂であつた事です。といつて、私達は何も別に人に聞かれては耻かしいやうな話をし交したわけでもなく、
『まあ、羽織の袖口が綻びてるわ、縫つてあげませうね。』などゝ言つて、針箱などを私は持ち出したりするのでした。
『ねえAさん この頃せいちやんはどうして?』
この質問は大抵一度私の口から出ました。それは、私達が東京を留守にした間に、彼に出來た戀人の名前で、彼がモデル女の中から發見したしほらしい少女だつたのです。私は一度彼の描いた肖像でその少女を見ました。それに依ると、どこか寂しいところはあるけれども、丸ぽちやな顏立の憎氣のない、さうした境遇のまだしみ切らぬある清さを殘してゐるやうな娘でした。
『どうしてつて、やつぱり方々に雇はれてゐますよ、その事を考へると僕は實にたまらない!』
彼は心が痛むやうに頭を掴み、『僕にはまだあの女を、さうした屈辱の境遇から救ひ出す程の力もないんです。今にとは思つてるんだけれど……一體あいつの母親が惡黨なんだ!』
十一
『ほんとに、早くどうにかしてあげたいのねえ。』と、私は彼のいら立つて來る神經を
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