思へば、その當時の事は、たゞ一寸深き注意を要したに過ぎぬ位の事であつたかも知れないけれど、これといつて一生の根を張るものにめぐり合はず、離れつ即きつしつゝ漂つてゐる浮草のやうな生活の上にあつた私達には、ほんとに恐しいその二年間でした。
 唯一の生計の道であつた語學教師の職を擲つて、落人のやうに私達は茅ヶ崎へ越して行きました。あなたの病氣は、それほど進んでゐるのではなかつたのでしたが、それでもあなたはすつかり滅入り込んでゐらつしやいました。私達はお互にめいめいな事を考へるのに無言で、お縁側には徒に暖な冬の日がさしてゐる事などがよくありました。
 まあ私だけについていへば、生も死も共にといふまでに結び合つてゐない愛の隙間から――體それは[#「體それは」はママ]誰の罪であつたのでせう? 當時にあつては、あなたも私も決して愛し合ふ可く自分を制しはしなかつたつもりなのだけれども。それでは求めるものは與へらるべく、與へらるゝために私達は切にそれを求めなければならなかつたのでせうか? ――私はひそかに自分の心を滿すものを搜し求めました。
『繪でもやらうかしら?』
 さう心に呟いて、私は試に鉛筆を執り
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