つてますわ、そしたら今度はいつ出て來られるのかわからないけれど……」
「氣を揉まないで、すつかり快くなるまでゐて來る方がいゝな。僕寂しくはなるけれど……」
 彼は默つた。私は觸れてはならないものに觸れたやうなをののきを感じた。
「そのうち、僕一度は是非光ちやんの田舍に行つて見ますよ。」
 會話はとかく切れがちであつた。けれどもその沈默の中に、彼我を通じ前後を縫うてゐる一脈のものが流れてゐた。さうして私達は、何か自分達が永久に別れなければならぬのを豫感したかのやうに、私がやがて田舍に行くといふかりそめのわかれに就て、なごりを惜しむやうな心に自然となつてゐたのであつた。
「光ちやんが田舍に行つてしまふと僕ほんとに寂しくなる……」と、彼は言ひ出した。「それは僕にはせい子つていふ者があるけれど、あれの事を思ふ時に僕はいぢらしくかはいく、自分が力づけられ、そして世の中に對して奮鬪的な氣分になるけれど、慰められるつていふ點からいつたならば、僕は一番光ちやんに負ふ所が多かつたやうに思つてゐる……僕は、もしさういふ事が許されるならば、やつぱり光ちやんを愛してゐたのだと思ふ。そしてこの事はあなたも許してゐてくれたのだと思ふ……たゞ何事もはつきり口に出された事はなかつたけれども、そして、僕はたゞ光ちやんを愛する事は愛したけれども、光ちやんからも愛されやうなぞとは夢にも――あなたの結婚前は一寸そんな事を思つた事もあるけれど、それからは一度だつてそんな事を願ひはしなかつたし、また光ちやんから愛されてゐるとも思はなかつた。たゞ僕は、あなたを愛する事に滿足し、それを光ちやんが拒んでくれない事だけに十分滿足してゐられたんです……のみならず、僕は沼尾君をもあなた同樣に愛さうと思つて苦しんだ、併し僕は沼尾君を憎みこそしないけれど、そしてある程度まで愛してはゐるけれど、あなた同樣にといふことは到底できない、そしてそれは仕方のない事だとも思つてゐる……」

        十七

 あゝ! それは遂に來たのであるか。けれども彼のいふところに間違はなかつた。私は固くなつて、たゞ耳を傾けた。
「それは僕だつて隨分光ちやんを憎んだこともあるけれど、それは併し、愛するがために憎かつたのだつた……」
 彼はまた紡ぐやうにその言葉を續けようとする。
「これからだつて、もし……どうしたの、熱が出て來た?」
 彼は急に
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