『あの人はそんな人ぢやないわ。(といふのは、そんなに狹量ではないといふ意味で、その事は私の理想だつたのです。)たゞ人附合がほんとに下手なんですね、自分でもこれぢやいけないと氣を揉むんだけども、何か話したり笑つたりしようと思ふんだけれど、それがさうできないのがあの人の性分なんですよ。』
 この一所懸命な説明に滿足できなくて、私はなほ言葉を次ぐ。
『そらほんとに惡氣なんてちつともない人なんですからね……』
 けれども私はやつぱり言ひ足りなさを覺えて考へ込みます。私はあなたをどうにかしてあの人によく思はれたい、あの人の前にあなたを完全な者にしたい、けれどもそれと同時にまた、この私のどこか寂しいもの足りなさを知つて貰ひたいといふやうな、矛盾した二つの感情の爲に、結局私は口を緘んでしまふのでした。
『お前はほんとに人さへ來てると機嫌がいゝけれど、僕とたつた二人きりの時は、なんだか寂しいやうな、つまらないやうな顏ばかりしてゐるねえ――まるで別人のやうに。』と、いくらか責めるやうに私を御覽になつたあなたの目を私はふと思ひ出します。
 異なる寂しさともの足りなさ……否、同じたぐひの寂しさともの足りなさを、異なる場合にあなたもまた私同樣に感じられてゐらつしやるのでした。私が逐ふ時にそれは無く、あなたが求める時にそれはもう逃げてゐる。
『なぜ二人は同じ時、同じやうにぴつたり、面を向き合せることができないのだらう?』
 私は惱しく唇を噛みます。
『沼尾君はあなたを愛してゐますか?』
 突然Aは彈丸のやうな質問を私に向ける。私は急所を突かれ、そのをのゝきを隱すために目を伏せながらも、間違なく侮辱を感じ、全く機嫌を惡くして、
『えゝ、愛してゐます!』と答へるのだけれど、意地わるく言葉は縺れて、『えゝ、愛してゐるだらうと思ひますわ!』と言つてしまふ。
 けれども、それは言葉が間違つただけのことで、言葉が私の心を裏切つたわけではないのでした。私はぱつと立ち上つて言ひます。
『Aさん、あなたこの頃どんな繪を描いてらつしやるの?』

        八

 ある時、通り魔が私達の道を横ぎつて行つたのです。それは結婚後二年目の年で、それから間もなくあなたはたうとう患ひついてしまつたのでした。私は再びあのどしんと頭を打たれたやうな當時の寒い心を思ひ出したくありません。刺戟や苦惱やになれて來た今にして
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