かげから、お里は恐る恐る先刻の半襟店の飾窓に目をやつた。その時は反對の側の方に近く歩いてゐたのだけれど、視覺の記臆はあきらかにその幾筋もの模樣を識別した。
 その一掛のところだけ明けられてあるか、それとも別なのが飾られてあるかと、まざまざそれが見えるやうな氣がしてゐたのも仇となつて、黒地の麻の葉はもとのとほりにその濃い彩で道行く人の目を引いてゐた。
『おい!』
『え?』
『どうしたの?』
『何が?』
『どうかしたのかい、默り込んでしまつたぢやないか。』
『ふゝ。』と、お里は寂しく苦笑して、『あなたねえ、さつき下駄屋からこつちへ何しにいらしたの?』
『さつき? インキの大瓶のがなかつたから別な店に行つて見たのさ。』
『さう。』
『どうして?』
『いゝえ、なぜでもないの。』
 かう言つてお里はまた默り込んでしまつた。いつの間にか日はすつかり暮れきつてゐる。夜店をひろげる商人が、あちこちの場所に見えた。
『おい、何か食べて行かないのかい? さつきさう言つてたぢやないか。』
『さうね。』
 氣のない返事をしたまゝ、お里はなほ緩く歩き續けた。少しづつ吹いて過ぎる風に、顏の脂肪氣をすつかり脱き取つ
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