けて、『買はうか知ら?』と、同意を求めるやうに夫の顏を見た。
『あるぢやないか一つ、ちようどそんなのが……』
『だつて……』
 お里はちぷりと油に水をさされたやうな氣がした。黒地に赤糸の麻の葉を總模樣にしたその半襟をかけた自分の白い襟元と、着物の配合とが忽ちにして消えた。
『どうせ買ふならこつちの方が……』
『あゝよしませうね。』
 かう言つてお里は彈かれたやうに、つとそこを離れた。その時ちらと夫がいゝと云ふ柄の正札を睨んだ。二圓なにがしの値がついてゐた。
『でも入るなら買つたらいゝぢやないか。』
 あまりに反撥的な態度だつたので、夫は居殘つて聲をかけた。
『いゝのよ。』と、お里はずんずん歩き出した。
『おい!』
『……』
『おいおい!』
『いゝのよ。入らないのよ。』と、お里は夫を待ち合せて、『間に合ふの。私あんまり値が安かつたものだから一寸迷つたの。考へて見りや、あんなもの買ふどこの騒ぢやなかつたのよ。』
 お里は自分の殊勝な心から考へ直したのであることを夫にも思はせようと優しく言つたが、顏を見ていふことはできなかつた。あてどもなく前の方ばかりを見つめて歩いてゐるうちに、はつきりして
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