なつて、たゞ夫の上にお里の心のすべては働き出した。
『なんだか年の暮らしくなりましたね。』
廣い世界にたつた二人が頼り頼られる體であるやうな、寂しい、その癖心強い今の思を、胸の中一ぱいに溜めて、それを少しづつ味ふのを樂しむものゝやうに、お里はぽつりぽつりと口をききながら歩いた。
久しく家に近い牧場の牛の聲や、豆腐屋の喇叭の音などにばかり慣れてゐた耳に、混雜してはひる町の物音が、なんとなく心をせき立たせた。歳暮に間もない神樂阪の空氣は、店々の品飾の上に漂つて、新乾海苔のつやつやしい色が乾物屋の店先を新しくしてゐた。
『下駄と、足袋と、それからあなたはインキを買ふつて言つてたわね。』
と、お里は爪先あがりに阪を登りながら數へたてゝゐたが、ふと髢屋の店が目につくと、『あ。さうさう、私すき毛を一つ買はう。』と、思ひ出したやうに小ばしりにその店に寄つて行つた。
髢屋の主人が背のびをして瓦斯にマツチを擦ると、急に青白い光がぱつとして薄暗い店先を照した。氣がつくと、阪下阪上の全體に燈がはひつてゐた。
『下駄はどこで買ひませう。』と、そこから出て來たお里は、夫と並んで歩き出しながら言つた。
『さ
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