あ。』
阪を上りきつて廣々とした往還に出ると、二人は少し足をゆるめて、右と左のさまざまな店々を見廻しながら歩いた。お里が殊に氣をつけたのは、洋物店の硝子の中に飾られた刺繍入のシヨウルの中に、自分達の力に添つた價のものを見出すことであつた。呉服屋の飾窓に自分の年と恰好した品物が目につくと、なんとなく寄つて見て正札を覘き込んだ。
『まあいゝ柄!』
お里はふと立ち止つて、とある半襟店の小さなシヨウウインドウを眺めてゐたが、同じく足を止めた夫の傍を、つと離れて覘きに行つた。
『一寸、一寸。』と、やがて手持無沙汰に立つてゐる夫を呼んで、にこにこしながら、『ね、いゝ柄でせう? 四十八錢だつて……ほんとの縮緬ぢやないのよ。まがひ……でもいゝ柄でせう?』と、傍に立つてゐる人に憚るやうに、後の方は聲を低めた。
『うん……それよりもあつちのがいゝよ。』
『だつて……』と、お里は夫の趣味が自分と一致しないのを發見したやうな不平を感じながら、『どれ? あれ? まあ厭あだあんなの、あんな平凡なのよりこの方がいきでいゝわ、私こんなのがすきよ。』
『ね。』と、やがていかにも心を引かれるやうにひたりと硝子に顏をつけて、『買はうか知ら?』と、同意を求めるやうに夫の顏を見た。
『あるぢやないか一つ、ちようどそんなのが……』
『だつて……』
お里はちぷりと油に水をさされたやうな氣がした。黒地に赤糸の麻の葉を總模樣にしたその半襟をかけた自分の白い襟元と、着物の配合とが忽ちにして消えた。
『どうせ買ふならこつちの方が……』
『あゝよしませうね。』
かう言つてお里は彈かれたやうに、つとそこを離れた。その時ちらと夫がいゝと云ふ柄の正札を睨んだ。二圓なにがしの値がついてゐた。
『でも入るなら買つたらいゝぢやないか。』
あまりに反撥的な態度だつたので、夫は居殘つて聲をかけた。
『いゝのよ。』と、お里はずんずん歩き出した。
『おい!』
『……』
『おいおい!』
『いゝのよ。入らないのよ。』と、お里は夫を待ち合せて、『間に合ふの。私あんまり値が安かつたものだから一寸迷つたの。考へて見りや、あんなもの買ふどこの騒ぢやなかつたのよ。』
お里は自分の殊勝な心から考へ直したのであることを夫にも思はせようと優しく言つたが、顏を見ていふことはできなかつた。あてどもなく前の方ばかりを見つめて歩いてゐるうちに、はつきりして
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