を空けると、急に嬉しさうに相好を崩して手の平をこすつた。目尻のあたりに寄る皺や、廣いけれども間がぬけてゐない額など、彼の顏は決して上品な部類ではなかつたけれども、それでもどこやらに――多分耳から頬にかけての餘裕ある線であらう――どこやら福相な感じのする顏であつた。しかも今はその顏に、何ともいへぬ人の好ささうな心の漂さへ見られるのは、彼の日常にくらべて誠に奇異な事であつた。
 それは恰も人間の、個々に言へば彼の、生れたまゝに備へてゐたある善良さが、少しも伸び寛ぐ機會がなくて、彼自身から常に虐げられ虐げられしてゐたものが、今彼の甘き醉の開放に遇つて、知らず識らず覗き出したとでも言へるやうなものであつた。
『親父《おやぢ》はおれを蓆の上で、虱と一緒に育てはしたが、全くやくざな親父ではあつたが、親は親だ、なえ、親は親だと、おれはさう思つて孝行をして來た。酒も買つたし、魚もお父さとお母さだけにはと、二週間に一度、一週間に一度は買つて上げた……親父が死ぬ時には、ともかく疊の上で、絹布の蒲團とまでば行かずとも、垢のつかない虱のつかないだ、とにかく新綿の入つた蒲團の上で送つてやつた……なえ、本家、おれ
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