提げて店から入つて來た。
『一體どつちや行つて來たのえ?』と、彼は坐るなり一ゆり肩をゆすつて、幸吉の赤い顏を物ずきさうに眺めやつた。
『いやどうも朝つぱらから男爵閣下のよび使を受けて……』と、勿體らしく言葉を切つて吸穀を叩きながら、『青巒亭まで行つて來やした。』
幸吉はそれを極めて事もなく言つたけれども、内心は少し得意な氣持であつた。
『男爵え?』と、果して正兵衞は眼をきよろんとさして言葉を挾んだ。彼は幸吉が誰かを笑談にさう呼んだのだらうと思つた。
『男爵は男爵でも、なに馬鹿殿樣でさ。』
『ほう。』
正兵衞は男爵が本物らしいので、ますます好奇の念を動しながら、もう一つ肩をゆすつて腰を少し進めた。それにしても彼は二人の間に何か並べたいやうな心そゝりを覺えて、
『まあなにしても久しぶりだ、今日は一本つけて貰ふべ。』と、憚るやうにちらりとお園の方に目をやつた。
『いやどうぞお構なく……。』と、幸吉は慌てゝ辭退をしたが、その實何となくそれを待ち構へてゐたやうな心持であつた。
お園は默つて臺所の方に立つて行つた。そして小女に何やら言ひつけたり、瀬戸物の音をさせた[#底本は「た」が倒字]りし
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