、彼ほど敏活ではなかつたけれども、心を合せて自分達を泥沼のやうな貧困の中から拔き出すのに協力したので、今ではともかくも兄弟が一つづつの店を持つて、町の一流二流どこにはまだ遠く遠く及ばないにしても、その家族が多い事と、(弟達もそれぞれ嫁を迎へて、皆子福者であつた。それだのに彼はその長女に婿まで取つた。彼の方針は、飽迄も一家に働き手を殖す事にあるらしい。)兄弟揃つてなりふり構はず働く事とで、一寸藝あそびの一つもするのを伊達と心得てゐる町の壯丁仲間からは相手にされなかつたかはり、昔氣質の人達からは感心な若者達だと思はれて來た。
近年になつて幸吉は、町の最も繁華な場所に家屋敷を買つて店を擴げた。それは四辻の角になつてゐる最も場所のいゝ所で、殊にはこまごまとした雜貨類の賑なところから、通りすがりにはいかにも隆盛な店のやうに見えるのであつた。彼はさう内輪のことに立ち入つて、知つてない餘所の取引先などには、無を有にして見せるだけの十分の手腕を持つてゐた。けれども彼は、まだどうしてなかなかこの位の所に滿足し安心しきつてゐるのではなかつた。なるほど昔にくらべたなら、それは世界が違ふ程の違であり、ひとり靜に斯くまでにして來た苦心を回想する時には、手の平をこすりたいやうな喜と、又それに伴つた血の涙とがあるけれど、嘗て彼の幼い魂にこびりついた反抗的な功利の念は、年と共にますます盛んになるばかりで、寢るにも起きるにも、食べるにも飮むにも、どうしたらば儲るか、どうしたらば金が溜るかと、そのことが常に念頭を離れないのである。その爲には彼はかなり手段を選ばない位にまで卑しくさへなつてゐる。つまり彼は、自分の商法が今の所虚勢で支へられてあるのをよく知つてゐるので、それを充實させて確實なものとする爲に、身を粉に碎いて財産を作る事に熱中してゐるのであつた。
この休まる時のない神經を、彼も時にはゆるめて、過去から現在を、改めてずつと見渡し、それからまた前途を大觀したいやうな要求を自然に感ずる事があつた。そしてさういふ時の爲に彼は最も安全でしかも安價ですむ方法を一つ持つてゐた。それも彼の怜悧な本能が知らず識らずのうちに見付け出したもので、それは本家の綿屋の當主正兵衞と一所に一寸一口やりながら話す事であつた。
本家綿屋の當主正兵衞は彼よりも四つ五つ年上の年輩で、まことにお人好な、酒は飮めぬ癖に一寸好きで
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