金に替へ、幾らかになつた儲を數へながら、自分を待つてゐる母親の方へと歸つて行くのであつた。そしてそれから米が買はれ、また父親のための晩酌が買はれるのであつた。
さてどうやらかうやら其日の夕飯が濟されると、彼は小さな體の疲を休める間もなくすぐに板の間に蓆を敷いて、乏しい洋燈の光の下に胡坐を組みながら草鞋を作つた。かうして孜々として倦まない息子を前に置いて、初めはほくほくとつまらないお世辭などを言ひながら手酌をやつてゐた父親は、段々徳利の底が輕くなるに從つて不機嫌になり出し、果てはお極りの大平樂を並べ出す。
『これお豐、これ見ろ、このとほり……』と、彼は徳利を逆にして見せて、『おれは毎晩盃の數をはかつてちやんと知つてるんだぞ、今夜の酒は少いぞ、うむ、どうしても足りない、女郎ごまかしたな、さあ出せ、おかはりをつけろ、人う盲目だと思つていゝ加減にやツりやがるな……おれあ徳利を持つて見た工合でちやあんと分るんだ、ちやんあんと……なに? 一つたらしも酒なんてねえ? 無けりやあ買つて來い!』
黒い眼鏡で盲ひた眼を隱した貧相な顏が、青味を帶びて嶮しくなり、母親がなだめればなだめる程ますます笠にかゝつて暴言を吐き散す。果ては徳利を逆手に握つて膳や茶碗を叩き出すので、こんな時に幸吉はいつも默つて立ち上り、膝の上の藁屑を拂ひ落しながら、父親の傍に近寄つてその肩を叩くのであつた。
『さあお父さ、今夜は我慢して寢ておくれ、おれがまた明日うんともうけて來て買つてやつかんなえ、さあ寢るんだ寢るんだ。』
さうしてやをら父親の脇の下に肩を入れて、無理無理にお膳の前から[#「から」は底本では「かち」]引き離して寢床へ連れて行く。父親もさすがに、この感心な息子には逆らふ事が出來ないので、腹癒せにやたら母親を罵り散しながら往生するのであつた。
幸吉はそれから又暫くの間、弟達の寢息を聞きながら、襤褸を繕ふ母親と默つて向ひ合せて夜なべに精を出すのであつた。乏しい中にも母親が、それだけは毎晩缺かさない佛壇の燈が、ぢぢと音をしてあはれに消える頃は、夜嵐ががたごとと戸を搖つて、寒い風が土間から吹き上げて來る……
かうした心掛に立脚した、家運の挽回といふ常に止む事のない念は、みじめな目に遇ふ程煽りたてられ、艱難が烈しければ烈しい程強いものになつて、三十年の年月をまつ黒になつて燃えつゞけた。彼の弟達二人がまた
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