んは羽織などを着てゐない)、持前の猫背を如何にもまめまめしく見せ、その丸い背中は、兩手を腰のあたりまで下げてするお時儀の形にちようど恰好の取れるものであつた。彼は元氣な聲で、途で行き合つた知人や知合の店先やに挨拶を交して通つた。そんな時に、彼の顏は赤かつたにも拘らず、少しも醉つてゐるやうな氣振は見せなかつた。この明るいまつ晝間、めでたい祝儀にでも招ばれた譯でないのに、晝日中醉うて歩いてゐるさまを人に見られるなどは、常々の自分の勤勉に味噌をつけるものだと彼は固く信じてゐた。どんな場合にも醉うて醉はぬ本性が大事である、どんなにぐるりが目茶苦茶に面白く愉快に思へる時でも、本心はぴたりと坐つてゐて、うつかり人に冒されるやうな事があつてはならない、さう彼は豫々から思つて用心をしてゐる。その癖彼位すぐに醉つぱらつたさまをするのに巧な者はなかつた。常々頭の上らない人に向つて少し勝手な事を言つて見たいとか、それとなく日頃の不平を鬱散させたいとか思ふ時には、彼は前後の見境もなく醉うたやうなさまをしてそれをやるのである。その時言つた事や爲た事に對するすべての責任を、十分酒のせいにしてしまふ事が出來るといふ自信があるので、彼は隨分思ひ切つて氣を吐く事がある。一年に一度か二度のさういふ機會は、絶えず如才なく人の前に自分を屈し、いかなる場合にも自分の利害に就いて拔目なく氣を配つてゐる彼の緊張した日常生活に取つては、實に生命の洗濯のやうなものであつた。
 彼はやはり父親ゆづりで酒が好きなのであつた。けれども父親の飮めばきつと暴れるといふ惡い癖に子供の時からこりごりさせられ、又その爲に貧困のどん底を泳がせられた彼は、酒の惡癖を心から恐れいとはしいものに思ひ込んだがために、幸にも自分は決して酒に呑まれるやうなことはなかつた。
 子供の時から利口者の幸吉は、また感心に親孝行でもあつた。彼は十二位の少年時代から、黴毒で眼の潰れたやくざな父親と、二人の幼い弟達を抱へた母親とを養はなければならなかつた。彼は親戚から極めて僅な資本を貰つて、朝の暗いうちから天秤に下げた籠を擔いで近在の村々に出かけて行つた。それは棒手振と言つて、東京でいへば屑屋のやうな商賣であつた。さうしてその日の買入物を持つて歸つて來る頃には、いつも燈火が點々と町はづれの家並に光つてゐた。彼はまつすぐに問屋の前に荷を下して、それぞれの屑物を
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