顏を見合してだまつた。
 それから「おほん」氏はしばらくして、その怒つた肩に埋つたやうな首をかしげて、
『奧さん。』と、重々しく呼びかけた。『あなたは最初からお越になるおつもりでしたか?』
 その時細君の顏色は動いた。けれども聲も調子も少しも取り紊さなかつた。
『はい。いえ、もう先から越しますつもりで居りましたんですが、ちようど恰好な家がございましたものですから……』

 客の質問に答へて辯護士は言つた。
『差配のおやぢはね、もと港の町で辯護士などをしてゐた男があつて、そいつが金を殘してね、某町に貸家を建てたりなんかして――初め中尉の住んでゐた家もその一つさ。そのおやぢに差配をやらせたり、かたがたおやぢを手先にして金を廻させてゐたんだ。懷にあつたといふのはそれさ。ところがおやぢ、はじめそれをやらせられる時に、あまり名譽なことぢやないから誰にも言つちやならんぞと差し止められてゐたらしいんだ。それでどうしてもその金の出所を言はないのだよ。おかげでおやぢばかりひどい目に會つたわけさ。うん? ほんとのところ? そりや細君のいひ草ぢやないが、しかとは斷言出來ない。だが僕達の解釋するところに依ると
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