きないと母親からよく叱られたが、子供だ、子供だといはれるのがお芳には寧ろ得意な位だつた。
母親は大抵枕許にゐる。口數の多い見舞の女客などを引き受けて、お芳は今までのやうにのつそりしてゐられなくなつた。おのづと年上の人に對する言葉を遣つても恥かしくはなくなるし、合槌も打てる。自分が長火鉢の横に坐つて、煙草やお茶などを汲んで出す時には、女――嫁――一家の主婦などゝいふやうなことが考へられるやうになつた。
店に來た取引の客へ茶を運ぶ、醫者を乘せて來た車夫に火を焚いてやる、それお手水の湯、それお茶、佛壇の南天の葉に埃が溜つたのも目につくし、通りがかりに覆つてゐる下駄を起す程の氣も出た。やらなければならぬと思へば、家の中のいろいろなことに氣が付いた。
手が廻りかねて日が昏れてから、ぽつりぽつりと綿のやうに飛んで來ては着物にしみて消えるうすら雪に、手拭をかぶつて、凍つた井桁に桶をのせて米も浙いだ。その井戸車の軋る音を寢床に聞いて、『芳はまあ……』と、病人の聲が震へた。
早くどうか快くなりたい! 姙《みごも》つても姙《みごも》つても辛い苦しい思の形見ばかり殘つて、二十九の今だに一人の子もない
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