心細さ、神を怨んでも見たが、今はもうそれは思ふまい! 盲目の父、かうして横つてつくづく見れば、今初めて白髮に驚かれる母、二人の妹、とそれらが重く重く自分の肩に頼りかゝつてゐた。何事も何事も自分を相談相手にしてゐた夫は、さぞ歳暮《くれ》の忙しさに手廻りかねてゐるであらう、店の者達の仕着せもまだ整へてなかつた。先刻藥罎を持つてはひつて來た清治の足袋から、親指の先が赤く覘いてゐた……あゝ、あゝ糞! 生きなければならぬ!……
 廣くもない家のことゝて、荷を下す車力の聲や、客の駈引、裏の倉に品を出しに驅けて行く足音や、それらが鋭くなつた頭に手に取るやうに響いた。見えない見えないと思つてゐた手袋の片方が、鼠に喰はれてぼろぼろになつて棚のかげから出て來たり、荷車が隣の小間物屋の店にかけて、轅が壞れて突き出されてあつたり、いろいろなことが病人の目に見えた。

       四

『お芳、御苦勞でもなあ、稻荷樣へお母さんの名代になつてお詣して來てくれろや、姉さんの命乞に……もしも快くなつたら旗を上げますつて願をかけて……』
 老人の頑愚を嗤ふにはお芳はなほ幼かつた。馬鹿馬鹿しい、そんな氣も起りながら、な
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