のもそのまゝにして置いて、學士は宗三郎からこれまでの經過を靜に聞いて、やがて徐に手の脈をとつた。
 薄曇の眼鏡をかけた醫者は、その日から病人かこつけによしてしまつて、今までの藥代と、それにお禮としてビールを半打添へて持つて行つた。

       三

 冬至に入つてからは、めつきり寒くなつて、雪の日が續いた。
 〇日 二十五度。
[#ここから2字下げ]
つめたいつめたい朝、寒い寒い日。
神の鉢の飯が凍つた。
[#ここで字下げ終わり]
 お芳の日記にはこんな字が多くなつた。
[#天から2字下げ]水桶の氷を力まかせに叩いて柄杓の柄を折る。
 こんな朝もあつた。凍つた土にさらりとまた白く撒かれて、倉の前に鳩の足跡が紅葉形についてゐる。井戸にかゝつた水がそのまゝに凍つてゐて、乘せた手桶の底がつるりと辷る。釣瓶の繩はつめたいといふよりは寧ろ痛かつた。
 家の中の上と下と、この節では大抵お芳の手になつた。かうして切り廻すことが自分にできようとも思はなかつたし、そんな時節が來ようなどとも思ひもうけなかつた。姉や母に手傳つて朝晩の用位はしてゐたけれども、町屋の娘並にお針に通ふ。朝はいゝ位にして出かけ
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