寸した漬物の仕方などもをしへてくれた。
また新吉田のお竹をばさんといつて、縁つゞきになつてゐる乾物屋の女を、これは山サの一家が揃つてみな嫌だつた。榮へる家を妬《や》くやうに話し、衰へる家を小氣味よささうに語るやうな種類の女で、年中人の家のあらばかり搜してゐる。口のはたに唾を溜めるのが嫌だといつて、産婦はいつもこの人の聲を聞く度に、眠つたふりをして病室にはひつて來るのを避けた。
老父の話相手でもあり、お勝が若い頃に茶の湯を習つた先生でもあり、子供の時からのかたはのために、占や灸點のやうなことをやつてゐる人の細君も來た。人の好いばかりで、どこか足らぬといふやうな噂のある人で、その時來合して、醫者と産婆が白い衣を着て、ブラシユで手を洗つて、洗滌の用意をしてもまだ病室を出なかつたのには少からず困つた。
一寸顏を出して見舞をのべて行く人もあり、兩隣や向の家からもおかみさん達が來て、『赤んぼは仕方がありませんけれどもねえ、なにしろ親のからだが大事ですわい。なあにまだお若いんだから。』と、皆同じやうなことを言つて歸つた。出入の商家からなども見舞の品を送つて來た。玉子が殊に多く集つた。
四十度
前へ
次へ
全29ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水野 仙子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング