親には何でもなく解釋させるやうにと苦心して、老人夫婦が小聲に話してゐた時には、お芳はきつとよそごとの口を入れた。魚の煮付一きれでも、都合の惡い時にはいゝ方を宗三郎の膳にのせた。
 朝から宗三郎が家をあけた日がある。大抵枕許で行先を斷つて行くのが、その日に限つて何とも言ひ置いてなかつた。
『なあおせん、宗三郎は嬶の病氣が厭になつたんであるまいな。』
 一日炬燵に蹲つてゐる老父は、夜になつても宗三郎の聲が聞えぬので、心配の顏をあげて通りがゝりの足音を止めた。小聲だつた。
『まさか……まさかさうでもありやすまいが……』
 母親もそれは信じなかつた。宗三郎は程過ぎて何氣なく歸つて來た。出先から姉の家へ廻つて、そこで夕餉をすまして來たといふ。顏色も別段赤くなかつたので人々は安心した。
 珍しく宗三郎は正宗の口を切つて膳の上に乘せた。その日は一日ものも言はなかつた。鐵の火鉢を傍に引きよせて、盃のひまにはぼかりぼかりと煙を吐いた。煙管を叩きつける音が烈しく、しかも絶間がなかつた。常から下戸のことゝて、すぐにもうまつ赤になつて、いつもにないことなので怪訝な顏をしてゐる清治を烈しく叱りつけた。そして御飯
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