ゐる。朝な朝な昇る朝日は、そのうららかな影を斜に壁に投げ、暮れて行く日は障子を通し、硝子戸を透してゆふべゆふべに赤く輝く。やがて徐《おもむろ》に夜が來る。さうして靜なる眠の中へ、常に絶えざる「明日は」の希望に導かれて入つて行く。それは吾々の休息といふよりも、或は忘却すべく、或は新なる力の湧出を待つべく、その日その日に下される救である。さて私は時々夕方の檢温の結果などによつて、氣に入つた讃美歌の一くさりを誦《よ》み、ぽつかりと音もなくともる電燈を見つめながら、ベツドの上に四肢をのばしてゐる。こんな時、私の肉體と精神は最も自然に融和し、自己といふものをはつきり意識しなくなるために、時たま私の空虚を覗つて押し寄せる寂寥や、悲哀の念から全く脱却し、無念無想に近い境をさまよつてゐる。そして私はそんな時が非常に好きであつた。また病氣の上にも、それは微妙な好い働を働くに違ないと信じてゐる。
昨日の夕方もちようどこんな風な状態になつてゐた。そして私は幸福であつた。多くの幸福な人々の知らない、寂しい不幸な人間のみが時々味ひ得る、つゝましやかな自足した幸福さであつた。いつの間にか日はとつぷりと暮れてゐた
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