前の良心は歌でも唄ふやうに理想を語るけれども、恰も當然の如くにその實行を避けるのだ。
全く、どうしたといふのだらう、私の體は千斤のおもりでもつけられたやうに重く、生きながら死んだやうに、身じろき一つしないのである。私はたゞ死馬を鞭つやうに自分を責めさいなむ。もしも私がほんたうに健康の體であつたならば……そしたら恐らくはそつとこゝを脱け出して、恐怖におびえつゝも、ともかくそこらを搜し廻つたであらう。けれども、さう思ふことは要するに今のこの怠惰な心の辯解に過ぎない、私はやつぱり現在の自分を十分に責め得る。持たでもいゝ良心ゆゑに私は責められる。凡そ人が道義の念に燃え、そしてその事に正しい肯定と喜悦とを感じながらそれを實行に移す時、かくも私の如く臆劫で、そしてその事に、ある羞耻の念すらも感ずるものだらうか?
私は苦しんだ、そして、苦しかつた。自分の良心の不徹底ゆゑに苦しかつた、そしてある瞬間はまた、そんなに苦しむ事が愚しいやうな、一寸笑つてやりたいやうな氣もした。たゞ依然として私の體は重かつた。
それからどの位の時間が經つたか私は知らない。突然、
『あゝ汽車が來た!』といつた隣室の聲にぎ
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