もがその助力に取りかゝらうとしないのに腹をたてゝ焦慮した。けれども、それはやがて正當に己にかへるべき自責であつた。人はともあれ、もしそれ程切實に一つの生命を尊ぶならば、汝の愛がそれほど深い愛であるならば、自分こそは何物をも措いて彼女の後を追ふべきである。そしてその事は決して一刻も猶豫すべきではない。
けれども私は病氣であつた。併し歩けない程ではないと私の良心はいふけれども、それでも長い長い間の辛棒の揚句、やつとこの頃になつて院内の散歩を許されるやうになつたのだのに、どうして夜中、しかもこんな吹雪の中を出かける事が出來よう、明日からまた早速發熱のために苦しまなければ[#「なければ」は底本では「なけれは」]ならないではないか。そしてそれが何にならう、たゞそれは折角私を癒した者への、この上もない忘恩の仕業に過ぎないではないか?
またある心はいふ。それは或はさうかも知れない、けれども奇蹟が信仰によつて生じる事をお前が眞實に信ずるならば、今の場合何もその結果を想像して心配するには當らないではないか、お前が一つの生命を尊び、それを救ふために爲す行爲は、また必ずお前の生命をも尊び救ふであらう。お
前へ
次へ
全21ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水野 仙子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング