ね。』と、小聲で誰かゞ言葉を挾んだ。
『僕は何だか氣味が惡くなつてね、うつちやつて來るわけにもいかず、ぢつと隱れるやうにして後の方に立つてゐると、やがては女はすたすたと歩き出すんだ、それが裸足でね、そして二三間あつちに行つたかと思ふと、またこつちの方に引き返したりして、しよつちうぶつぶつ口の中で何か言つてるんだ。何でも二三十分間あつちに行つたり、こつちに行つたりしてたらうね……』
『一體君がそこにゐるのを女は知つてたのかい?』
『さあ、あたり前なら氣付かない筈はないんだが、どうですかね、併しどつちにしろそんな事はあの女に取つて別に問題ぢやないんでせう……』
『まあ、それからどうしたんだい?』
『暫くそんな事をしてましたがね、今度は突然すたすたと歩き出した。僕はぎよつとしましたね、何だか汽車道の方を目指して行くのらしいんだ。子供は聲を嗄《から》して一層烈しく、「いやあいやあ、あつち! あつち!」とひつくりかへる、それでも女はすたすたと、今度は後も見ずに歩いて行くんだ。僕は仕方なしにやつぱり後について行つた……女はどんどんと怖いものを知らないやうに闇の中に突進して行く。子供の泣き叫ぶ聲がだんだん嗄れて來て、雪はちらついて來る……僕は何だか怖くなつて來た。ぐるりを見廻すとまつ暗だし、女の足の早さといつたら、はじめは確に二三間離れてゐたんだのに、子供の聲がだんだんだんだん遠くなつて行くんだ。僕は誰か人が通つたら、その人にわけを話して一所に行つて貰はうと思ふんだけれど、生憎誰も通らないんだね、そのうちに不意と闇の中に提燈が見えた。まあよかつたと思つて行き合ふのを待つてゐると、それはいゝ加減なおやぢだつたがね、前に行き合つた女のたゞならぬ容子に驚いたものと見えて、ちらり僕と見合したその顏といつたら、非常に物怖《ものおじ》をしてゐんだ、そして僕が話しかけようと躊躇してる間に、遁げるやうにして行き過ぎてしまつた……それから僕はますます氣味惡くなつて引き返して來てしまつたんだ……』
『女はどうしたんだい?』
『あの道を一直線に歩いて行つたんだから、やつぱり踏切の方に行くつもりなんでせうね。』
『今の事なんだね?』
『うん今の事さ、僕はまつすぐにやつて來たんだから……今頃はもう行きついてるよ、踏切に……』
一寸の間ひつそりとなつて、誰も口を出す者がなかつた。
氣がついてみると、私は
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