輝ける朝
水野仙子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)豪《えら》い人間

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つた。
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 さうだ、私はそれを忘れないうちに書きとめて置かう。この輝いた喜の消え去らぬうちに、このさわやかな心持のうすれゆかぬうちに……私はこの朝の氣持を、決して忘れる事はないであらうけれども、だからといつて書きとめて置く事の決して無益なことではあるまいと思ふ。却つて私の病に於ける無爲の時間が、その爲に生きこそはしても。
 それは昨夜のことであつた。……いや私は先づいきなりその事に筆を進める前に、ついでだから少し自分のこの頃の状態をも記して置かう。
 日記を怠つてからもう七年になる。もし私がこの世から消え去つたならば、極めて少數の人に送つた手紙以外には、私自身の直接に觸れた生活は、その斷片をも人に窺はれなくなるであらう。(嘗て丹念につけたことのある日記も今はすべて燒いてしまつた。)そしてそれでいゝのだ。私といふ者がないあと、私に關したすべての事は消え去れ! 私は遺して置かなければならぬ何物をも持つてゐないと信じてゐる。そしてそれは一番己を知つた言葉だと思つてゐる。私は別に豪《えら》い人間でも、感心な人物でもない。人は別に私の生ひたちやその履歴を必要としないであらう。だからこそ私は氣安くその日その日を送つてゐられるのだ。
 けれども、それは決して私がうかうかとのんきに日を暮してゐるといふ意味ではない。私とても生きてゐる以上は、何かこの世もしくは人々の上に役に立つことをしたいと思ふ。さうしてある場合その自信を失つた時には、せめて無害な人間でありたいと思つて心を配る。そんな時には一寸廊下のたたずみにも、もしや人の邪魔になりはしないかと、おどおど自分の身をせばめたりする。或は私の良心も病んでいぢけてゐるのかも知れない。で、實をいふと、私位氣をつけてその日その日を送つてゐる者も少いのだ。こんなわけで、その日その日の記録を自分の心一つに疊んでしまふにはあまり惜しいやうな氣のする時もあるけれど、死後には何物をも遺すまいとする心から、それを文字にするといふ事はなるべく避けてゐる。それだのに今日
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