え決してさうでは[#「さうでは」は底本では「さううでは」]ありません。たゞ私は、せめてはあの人の上にかくあつてほしいと思ふ事を思ふばかりなのです。それを願ひはするけれども、神樣にだつて運命にだつてそれを請求しようとはさらさら思ひません。瞑するものはたゞ目をつぶりさへすればそれでいゝではないか、その默從の外に私の爲すべきことはない筈と、頭ではよく心得てゐますもの。
 けれども百合さん、その時が來るまでは、やつぱり哀れな人間の本性として、とやかくくだらぬ思ひやりや思ひ過しをするものだと見えます。氣にしないといひながら氣になるのですね、何だかあの人の姿が寂しさうです。春になつたらどうしよう、夏が來たらどうするだらう、秋が來たら、冬になつたらと、些細な日常生活の事まで、自分がない後の事を氣にする私を笑はないで下さい。親が無くても子は育つといふ譬がある位ですのに、殊に大の男一人を何と心得てゐるのだと人は笑ふかも知れません、けれども百合さん、どうかあなたゞけはそれを笑はないで下さいな。
 つくづく省れば、私はあの人に取つて決してよい妻ではありませんでした[#「ありませんでした」は底本では「ありまん
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