も、感じやすい心と共に殘るものゝ方がどんなにか強く生々しいことでせう[#「でせう」は底本では「でぜう」]、あなたはようくそれを知つてゐらつしやるのですね。私は覺えてゐます、あの時のあなたのあの激しい嗚咽を……それはもう、まだついこの間のやうだけれど、もう三年にもなりますね[#「三年にもなりますね」は底本では「三年になもりますね」]。
 弘一さんの靜な髏を納めた寢棺で、燒場へと行くためにあの鎌倉の家の門を出たのは、氣の短い冬の日が、一秒の猶豫もなしにさつさと暮れていつた頃で、世話人の振り翳す提燈の火影で漸く、人々の顏がそれと分るやうな時でした。ぎしぎしと重々しい、けれども寂しい音をたてゝ、白木の棺は私の俥の脇をすれずれに通つて先の方へ行きました。幾臺もの俥が置かれた順序なりにそれに續かうとすると、『どうぞ御縁の近い方からお先に願ひます、御縁の近いお方は前の方にいらして下さい。』と葬儀屋の男が呼んでゐるので、俥は暫く車上の人の指圖のまゝに入り亂れました。亡き人の妻の從妹としての私は、血筋をひいたと思はれる人々の後に遠慮深く俥を入れさせて、しづしづと動いて行く行列に續きました。振り返つても見なかつたけれど、けはひではもう二臺ばかりが私の後に續いてるやうでした。私はあなたがどの邊にいらしたのか、恐らく棺のすぐ後に從つたのでせうけれど、少しも知りませんでした。私はなるべくなるべくあなたと顏を眞面目に向き合せるのを避けてゐました。あなたの眼を見る事が私には辛かつたのです。あなたの眼は私の涙を誘ひ、私の涙はあなたが一所懸命に支へてゐる涙の堰を危くするだらうと恐れたのでした。私は人知れず多勢の中から、絶えずあなたの姿を求めまた追うてゐました。あのかなり複雜した親戚關係の人達に圍繞されて、あなたは實に雄々しく、僅な事にも氣を配つて亡き人の遺志のために戦ひながら、立派に振舞つてゐました。その取り亂さない姿が、私には一層悲しくかはいさうに見えました。私ははじめからしまひまで俥の上で泣き通しでした。なぜこんなに泣くのだらうと自分で自分を怪しむ程泣けて泣けて仕方がありませんでした。それはあなたに對する同情と同感とが、人事ならずひしひしと感じられたからで、私に取つては半分はもう自分の打撃であり悲しさであつたのでした。やがては自分にもかうした境遇がめぐつて來るのだといふ考が、どうしてもこびりついたやうに頭から離れないで――今から考へるとをかしいやうだけれど、あの頃はAがわるかつた時分でせう、そして私は元氣でぴんぴんしてゐたのですから、私はすつかり自分が遺されるものだとばかり思ひ込んでゐたのでした――もう既にその時が來たのでもあるかのやうに、あなたの哀痛と私のそれとが一所くたになつて、又その癖百合さんがかはいさうだかはいさうだと始終胸の中で呟きながら、闇の夜の俥で誰にも顏を見られないのを幸ひ、ひた流しに涙を流しながら運ばれてゆきました。一生の中で……と、もう言つても差支ないでせう、あんなに泣いたのは、お父さんお母さんのなくなつた時とあの時と[#「あの時と」は底本では「あの。時と」]だけで、あの時はお父さんお母さんの時よりも、もつともつと泣いた位に私は記臆してゐます。それはそれだけ私達が大人になつて、いろいろ憂きくるしみを實際に知つて來たからなのでせう。[#「でせう。」は底本では「でせう、」]
 かうしてあの暗い野道を、車夫達は掛聲から掛聲を送りながら、あの暗い險しい寂しい火葬場のある山の下に着きました。私達はそこからみな徒歩《かち》になつて、おぼろな弓張提燈の導くのをたよりに、足許に氣をとられながら、揉まれ揉まれてのぼつて行く棺のあとに續きました。あゝ何といふはつきりした記臆でせう、あの寂しい夜の光景は!
 太々しい怖い顏の隱坊から火室の鍵を受け取つて、それでもあなたはなほ念を入れて改めるやうに、その實は離れ難なく、弓張提燈を振り翳して、あの氣味のわるい火室のぐるりを一週しました。現在その手で口火をつけて、現在その手で夫の遺骸を燒くその焔の音が、煉瓦に圍まれた不思議な世界の中に、耳を欹てるまでもなくはつきりと聞えてゐました。生と死との歴然とした區別が、煉瓦一重の中と外とにありました。死の方は冷く、生の方は暗かつたのです。鐵の扉を固く閉されて、中の火影が糸よりも細くちらちらと洩れてゐました――何と思つたかあなたはぴたりと扉の前に立ちどまつて、既に下された錠に手を掛けてそれをゆすりました――『大丈夫ですよ奥樣、鍵はこのとほりこちらで預りましたんですから、明日お骨上げにおいでになるまでは誰だつて開ける事が出來ません、それにこの人が一晩寢ないで番をするんですから……』と、こゝまでもついて來た葬儀屋の男が、時に心付といふ意味をふくめて言つた時、あなたがどんな氣がなすつ
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