響
水野仙子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)獨語《ひとりごと》
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(例)[#「書かなかつたのだと」は底本では「書かなかつたのだとと」]
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一
藤村の羊羹、岡野の粟饅頭、それから臺灣喫茶店の落花生など、あの人の心づくしの数々が、一つ一つ包の中から取り出されつゝあつた。――私はゴム枕に片頬をつけたまゝ、默つてお蔦が鋏をもつて糸を切るのから、その糸を丹念にくるくると指の先に巻いて、薄紫と赤と青との切手の貼られた送票を丁寧に剥がしたりしてゐるのを、もどかしく眺めてゐた。けれどもそのもどかしさに何ともいへぬ樂しさがあるのを思つて、私はせかずにぢいつと堪へてお蔦の手許をみつめてゐた。書簡箋、小形の封筒、そんなものを順々にお蔦が私の枕許に並べたてた。その時、それらのものゝ間に隱れるやうに挟つてゐたオレンヂ色の表紙を持つたこの小さな手帳を、私はふと手をのべて自分の蒲團の上に取つたのであつた。片手の指先でぱらぱらと繰ると、彈力のある紙は大いそぎで優しい薄桃色の線を綾に亂して伏せていつた。私は何となくこの手帳が氣に入つてしまつた。そしてすぐに萬年筆の鞘をぬいて、そのオレンヂ色のおもてに「響」と題を打つたのであつた。けれどもそれは、別にどうといふ意味を持たせたつもりではなかつた。たゞその時、左を下にして横つてゐた私の心臓の音が、とつとつとつとしづかに枕に響いてゐたのを、ふとそのまゝ紙の表に印象させたまでの事であつた。
けれども、私は別にこれぞといつてこゝに書かなければならぬ事を持つてゐるのではない。毎日毎日、或は瞬間に、或はかなり長い間連續して、さまざまな思は私の心を過ぎて行く。それらが或は歌といはれるものゝ形を取る事もあれば、詩ともいふべきリズムを持つた獨語《ひとりごと》である場合もある。けれども敢てそれらを書きとめて置いて私の何になるだらう? やがては消えてゆくべき命であり、姿であるものを……私の心臓の響がはたと絶えた時、最もよくそのすべての意味を語るものは、何も書かずにのこされたこの白紙であるであらうよ! すべてを書き遺すにしてはあまりにこの思が多過ぎる……
さらば愛も、憎も、惱も、苦もよ、今暫くが間であらうほどに、私の胸が張り裂けるまでは、お前達の棲所《すみか》と
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