して、私はこの心臓を提供する。それらのものが、私のものとしてこの世にある間のしるしは、日毎夜毎に枕を傳うて我とわが耳に入る、あゝこの響である……とつとつと……
(かう、序のやうなものが、その手帳のはじめに書かれてあつた。それは昨年の秋の頃、廿七で死んでいつたある人妻の、たつた一つの遺稿――ともいふべきものであつた。彼女は生前相當な文筆を持つてゐたのであつたのに、自分の病が到底起つ事が出來ないのを知つてからは、時たま極めて僅な人達の間に書く手紙以外には、決してものを書かなかつた。それは書く事がなかつたのでも、また書きたくないからでもなかつたのだと私(作者)は思つてゐる。それは書きたくて書きたくて仕方がなかつたからこそ、その願があまりに強くあまりに大きかつたからこそ、彼女は書かなかつたのだと[#「書かなかつたのだと」は底本では「書かなかつたのだとと」]私は思つてゐる。書き遺すほどのものならば、書いて書いて書きぬきたい、けれどもそれにしては、彼女の息はそれに伴ひ續かなかつた。その爲に、最初のうちは彼女は頻に悶え苦しんだ。けれども、それは苦しめば苦しむほど、却つて惱ばかりがありありと殘されてゆくのを悟つてからは、ふつつりと思ひ諦めたやうに、彼女は絶えてものを書き綴るといふ事がなかつた。さうしてその折々に浮んで來るさまざまな思を、その折々の去來にまかして、語る人もない故郷の寂しい田舎で堅く口を結んで一年あまりの年月を送つたのであつた。この「響」はその間に書かれたものらしく、日記やその他の書き反古は前にすべて燒かせてしまつたとかで、これだけがやつと枕許から發見されたのであつた。それは大方みな白紙であつた。それは彼女の日記でもあれば、感想録でもあるところの、意味の深い白紙であつた。私がその夫なる人と共にこの手帳をひらいて見た時、めくつてもめくつても出て來る白紙は、却つてあのをはりに近い頃の沈默と微笑とを、それからそれを獲るまでの長い長い間の苦悶と葛藤とを、最もよく雄辯に語つてゐるとしか思はれなかつた。たゞこの手帳のおしまひの方に、恰も何かの例外のやうに、次に録するやうなものが全文書き込まれてあつた。それは彼女の從姉へと書かれたものであつた。それを見ると、現代の相當な教育を受けたある年輩の女の、妻の、さうして死といふものをみつめてゐる人の、ある心持がしみじみわかるやうに思へるので
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