あられる人は何よりも幸福です、けれども大抵は皆その胸に一度半度の愛のいたでを受けてゐます、この事はどう思つても寂しい事ではありませんか、悲しきは誰しも遂にその運命に支配さるゝ人間であるよ! せめてはお互に何事をも容しあひ、慰めあうて、更にそこから生れて來る愛の泉でその傷を洗はなくては!

        六

 私の大ずきな愛する從姉の百合さん、もう左樣ならにしませうね、どうか幸福で送つて下さい、私が死んでもあんまり力を落さないで頂戴。あなたの純な心持をいつまでも失はないやうに祈ります。この手紙を見てしまつたら燒いて下さいね、あなたに打ち明けた私の心持は、あなたの自由を縛らないやうに私自身片つぱしから忘れて行く事にしませう、大きな大きな忘却が來るその前に。
 すべては導くものゝ手にあるのだけれど、もしもあなたを眞に幸福にする縁があつたなら、皆樣の安心のためにも再縁なすつた方がよくはないかと思ひます。今更つれない事をいふとお思ひかも知れませんけれど、獨身で過さうといふ事があなたに取つて自然な安易な心持であるならば、寂しいといふ事を不幸のうちだとは思つてゐない私は、その心持を踏み躙つてもおすゝめはしないけれど、もし死者に對する感情とか義理とかいふものがそれを阻むのだつたら、それは無益な事だといひたく思ひます。もしもあなたが死者から嘗て愛されてゐた事を信ずるならば、安心して幸福へと導く手に腕をまかせてよいと思ひます。死んでゆく者は、たゞたゞわが愛する者のより多く幸福である事より外は思ひのこさないのですから……
 書けば書くほど名殘が惜しくなつて來ます、胸がいつぱいになつて來ます……それでは左樣なら!……
[#地から1字上げ]一九一六年一一月 澄子



底本:「叢書『青踏』の女たち 第10巻『水野仙子集』」不二出版
   1986(昭和61)年4月25日復刻版第1刷発行
底本の親本:「水野仙子集」叢文閣
   1920(大正9)年5月31日発行
入力:小林徹
校正:田尻幹二
1999年4月29日公開
2006年4月20日修正
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