こがれてゐた土を踏んでみる事の愉悦、しかしそれらの事が毎日とどこほりなく行はれなければこそ、その期待のたのしみは續く……蝸牛《かたつむり》は木の葉のゆらぎにでもその觸角を殼の中に閉ぢ込めなければならない。かくして私もある日は部屋に閉ぢて、しづかにその障害の去るのを待ちつつ横《よこたは》るのである。それは大抵わづかではあるが、熱とそれから胸部のいたみとのためであつた。
けれども月日は私の元氣に後楯《うしろだて》をした。診察室の前の大鏡に映る、ひつつめ銀杏《いちやう》の青白い顏は、日に日に幾らかづつ色を直して行つた。長い間には病院の内も外も私の散歩になれて、新しい感味が單純な頭を喜ばす事は少くなつた。それでもなほたつた一人の無聊《ぶれう》さに――ある時はそれが無上にやすらかで嬉しかつたけれど――歩きなれた廊下をぶらりぶらりとあてもなく私は病室を出かけて行く。
かうした日のつづきに、私がふと四月一日が來るのに氣がついて喜んだのは、その十日ばかりも前の事であつた。四月一日、それは藥を飮む事と、喰べることと、眠ることと、それから遊ぶ事より外には能のない人間にとつては、まことにお誂向《あつらへ
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