。決断致すぞ。予は決断致してあすにも交易を差し許して遣わすぞ。のう。多井、対馬の考えは誤《あやま》っておるか」
「さり乍ら、それではまたまた――」
「井伊大老の轍《てつ》を踏むと申すか!」
「はっ。臣下と致しましては、只もう、只々もう殿の御身《おんみ》が……」
「死は前からの覚悟ぞ!たとえ逆徒の刃《やいば》に斃《たお》れようとも、百年の大計のためには、安藤対馬の命ごとき一|毛《もう》じゃ。攘夷を唱《とな》うる者共の言もまた対馬には片腹痛い。一にも二にも異人を懼《おそ》れて、外船と交易致さば神州を危うくするものじゃと愚かも甚《はなはだ》しい妄語《もうご》を吐きおるが、国が危ういと思わば内乱がましい内輪の争い控えたらよかろうぞ。のう、多井! 予の考えは誤りか」
「いえ、それを申すのでは厶りませぬ。京都との御約束は何と召さるので厶ります」
「あれか。約束と申すは攘夷実行の口約か」
「はっ。恐れ乍ら和宮様御降嫁と引替えに、十年を出《いで》ずして必ず共に攘夷実行遊ばさるとの御誓約をお交わしなさりました筈、さるを、御降嫁願い奉って二月と出ぬたった今、進んでお自《みずか》らお破り遊ばしますは、二枚舌の、いえ、その御約束|御反古《ごほご》の罪は何と遊ばしまする御所存で厶ります」
「そちも近頃、急に年とって参ったよ喃――」
言下に冴え冴えとした微笑をのせると、凛《りん》として言った。
「それもこれもみな国策じゃ! 二枚舌ではない、国運の危うきを救う大策じゃ! 内争を防ぐことこそ第一の急、京都と江戸との御仲|睦《むつま》じく渡らせられなば、国の喜びこれに過ぎたるものはなかろうが、御降嫁願い奉ったも忠節の第一、国を思うがゆえに交易するも忠節の第一であろうぞ。――大無! 心気を澄ましたい。笙《しょう》を持てっ」
――冬の深夜の星に対《むか》って、端然とし乍ら正座すると、対馬守は蕭々《しょうしょう》として、日頃|嗜《たしな》む笙を鳴らした。
三
その同じ夜更《よふ》け――。
牛込柳町の奥まった一軒である。その一軒では、長いこともうすすり泣きの声がつづいてやまなかった。泣いているのは誰達でもない。秘めかくした恋を見咎《みとが》められて、身縁《みよ》りのこの家に、追放された当座の身を潜《ひそ》めているあの道弥とお登代の二人だった。――いとしみ愛する心が強ければ強いだけに、美しく若い二人にとってはその恋を叱られたことが、限りなくも悲しかったに違いないのである。
お登代が泣き濡れた睫毛《まつげ》に雫をためて、思い出したようにまた言った。
「それにしてもあんまりで厶《ござ》ります……。殿様もあんまりで厶ります。……」
「ならぬ! 言うでない! なりませぬ!」
勃然《ぼつぜん》として道弥がうなだれていた面をあげると、きびしく制して叱った。
「殿様をお恨みに思う筋は毫《ごう》もない。お目を掠《かす》め奉った二人にこそ罪があるのじゃ。正直にこれこれとも少し早うお打ちあけ申し上げておいたら、屹度《きっと》御許しもあったものを、今までお隠し申し上げておいたのが悪かったのじゃ。なりませぬ! 殿様にお恨み申し上げてはなりませぬ!」
「いいえ申します。申します。隠した恋では厶りましょうと、あれほどもおきびしゅうお叱りを受けるような淫《みだ》らな戯むれでは厶りませぬ。それを、それを、只のひと言もお調べは下さりませいで、御追放遊ばしますとはあんまりで厶ります。あんまりで厶ります」
「ならぬと言うたらなぜ止《や》めませぬ! どのような御仕置きうけましょうとも、御恩うけた殿様の蔭口利いてはなりませぬ。御手討ちにならぬが倖わせな位じゃ。もう言うてはなりませぬ!」
「でも、でも……」
「まだ申しますか!」
「あい、申します! 晴れて添いとげたいゆえに申します。わたくしはともかく、あなた様は八つからお身近く仕《つか》えて、人一倍|御寵愛《ごちょうあい》うけたお気に入りで厶ります。親とも思うて我まませい、とまでお殿様が仰せあった程のそなた様で厶ります。それを、それを、只の御近侍衆のように、不義はお家の法度《はっと》、手討ちじゃと言わぬばかりな血も涙もないお仕打ちは、憎らしゅう厶ります。殿様乍らお憎らしゅう厶ります」
――道弥も、ふいとそのことが思いのうちに湧き上った。思い出せばなる程そうだった。八つの年初めてお目見得に上って、お茶との御所望があったとき、過《あやま》ってお膝の上にこぼしたら、ほほう水撒《みずま》きが上手よ喃《のう》、と仰せられた程の殿である。それからまた十の年に若君のお対手《あいて》となって、お書院で戯むれていたら、二人して予の頭を叩き合いせい、とまで仰せられた程も人としての一面に於て、情味豊な対馬守である。
それだのに、なるほど厳しすぎる
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