へいったんだからな。問題ははずれた最初のあのひと太刀じゃ。八人斬って、八人ともに狂ったことのないおれの一刀斬りが、なぜあのとき空へ流れたか、おまえらはどう思うかよ」
「…………」
「心のしこりというものはそら恐ろしい位だ。頼まれてばかり斬って歩いて、馬鹿々々しい、と押し入る前にふいっと思ったのが、手元の狂ったもとさ。――神代直人も、もう落ち目だ。タガがゆるんだと言ったのはそのことなんだよ」
「ならば、そんなろくでもないことを思わずにお斬りなすったらいいでがしょう」
「いいでがしょうと言うたとて、思えるものなら仕方がないじゃないか。おまえらもとっくり考えてみい。――長州で三人、山県《やまがた》の狂介《きょうすけ》めに頼まれて、守旧派《しゅきゅうは》の奴等を斬っちょるんじゃ。その山県狂介は今、なんになっておると思うかよ。陸軍の閣下様でハイシイドウドウと馬の尻を叩いているじゃないかよ。伊藤俊輔にも頼まれてふたり、――その伊藤は、追っつけどこかの知事様に出世するとか、しないとか、大した鼻息じゃ。桂小五郎にもそそのかされて三人、――その小五郎は、誰だと思っちょるんじゃ。木戸|孝允《こういん》で御座候《ござそうろう》の、参与《さんよ》で侯のと、御新政をひとりでこしらえたような顔をしちょるじゃないか。――斬ってやって、奴等を出世させたこのおれは、相変らず毛虫同然の人斬り稼業さ」
「いいえ! 違います! 隊長! 隊長は馬鹿々々しい馬鹿々々しいと仰有《おっしゃ》いますが、斬った八人はみんな、天下国家のために斬ったんでがしょう!」
「がしょう、がしょう、と思うて、おれも八人斬ったが、天下国家とやら、このおれには、とんと夢で踏んだ屁《へ》のようなもんじゃ、匂いもせん、音もせん、スウともピイともこかんわい。――ウフフ……馬鹿なこっちゃ。只のいっぺんでいい! 頼まれずに、憎いと思って、おれが怒って、心底《しんてい》このおれが憎いと思って、いっぺん人を斬ってみたい!」
「斬ったらいいでがしょう!」
青い顔が、ギロリと光って、目が吊った。
「きっといいか!」
「いいですとも! 人斬りの名を取った先生がお斬りなさるんだから、誰を斬ろうと不思議はごわせんよ!」
「…………」
けわしくにらみつけ乍ら、まじまじとふたりの顔を見つめていたが、ごろり横になると、吐き出すように言った。
「お時勢が変っておらあ! 憎くもないのに、斬った昔は斬ったと言うてほめられたが、憎くて斬っても、これからは斬ったおれが天下のお尋《たず》ね者になるんだからのう。――勝手にしろだ。おれは寝る。おまえらも勝手にしろ」
「だめです! 先生! 手当もせずに寝たら傷が腐るんです! せめてなにか巻いておきましょう。そんな寝方をしたら駄目ですよ!」
「うるさい! 障《さわ》るな! ――腐ったら腐ったときだ……」
はじき飛ばして、横になると、遠いところをでも見つめるように、まじまじと大きく目を見ひらいたまま、身じろぎもしなかった。
五
それっきり直人は、四日たっても、五日たっても起きなかった。
眠っているかと思うと、いつのぞいてみても、パチパチと大きく目をあいていて、ろくろくめしも摂《と》らなかった。次第に小次郎たちふたりは、じりじりと焦り出したのである。
「どうするんですか。――隊長」
「…………」
「東京へ逃げるなら逃げる、西へ落ちるなら落ちるように早くお決め下さらんとわれわれふたり、度胸《どきょう》も据《す》わらんですよ」
「勝手に据えたらよかろう」
「よかろうと仰有《おっしゃ》ったって、隊長がなんとかお覚悟を決めぬうちは、われわれ両人、どうにもならんこっちゃごわせんか。生死もともども、とろろもともども分けてすすろうと誓って来たんですからね。寝てばっかりいらっしゃるのは足の傷がおわるくなったんじゃごわせんか」
「どうだか知らん。ここも動かん……」
「動かんと仰有ったって、三年も五年もここに寝ていられるわけのもんじゃごわせんからね。逃げ出せるものならそのように、駄目ならまたそのように、はきはきとした覚悟を決めたいんですよ。一体どうなさるおつもりなんです」
「お生憎《あいにく》さまだが、つもりは今のところ、どんなつもりもない。おまえら、つもりたいようにつもったらよかろう」
なにもかも投げ出し切ったといったような言い方だった。――げっそりと落ち窪《くぼ》んだ目を、まじまじと見ひらいて、にこりともしないのである。
ふたりは、腐った。
苦い顔をし乍ら、目から目へなにか囁《ささや》き合っていたが、小次郎が決然として身を起すと、金丸をせき立てて言った。
「つかまったらつかまったときじゃ。探って来よう!」
「市中の容子か!」
「そうよ。こんなところにすくんでいたとて、日は照らん。逃げられるものなら一刻も早く逃げ出した方が賢いんじゃ、手分けして探ろう。おれは大村の宿の容子と、市中の模様を嗅いで来る。おぬしは、西口、東口、南口、街道筋の固めの工合を探って来い」
「よし来た。出かけよう! ――いいですか。隊長。おまえらつもりたいようにつもれと仰有いましたから、容子を探ったうえで然《しか》るべく計らって参ります。あとでかれこれ駄々をこねちゃいけませんぞ」
言いすてて、ふたりは、不敵にもまだ日が高いというのに危険を犯《おか》し乍ら市中へ出ていった。
しかし、直人は、うんともすうとも言わなかった。まるで馬鹿になる修業をしてでもいるように、じっと一点を見つめたまま、寝返りも打たなかった。
知らぬまに、高かったその陽がおちたとみえて、うっすらと夕ぐれが這《は》い寄った。――同時のように、ひたひたと足音が近づいた。
小次郎がかえって来たのである。
のぞきこむようにして、その小次郎が手柄顔に言った。
「大丈夫だ、先生。大村は死にますぞ」
「これから死ぬというのか、もう死にかけているというのか」
「急所ははずれたが、思いのほかに傷が深いから、十中八九死ぬだろうというんです。うれしいじゃごわせんか」
「ふん……」
「ふんはないでがしょう。先生は、大村が死にかけておったら、気に入らんですか」
「入らんのう、かりそめにも暗殺の名人と名をとった神代直人じゃ。看板どおり仕止めたというなら自慢になるが、これから死ぬかも知れん位の話で、よろこぶところはなかろう」
「それならば、あのとき黙ってお斬りなすったらようがしたろう。大村が死なんでも、誰が斬ったか分らなんだら、先生の耻《はじ》にはなりませんからな」
「なんの話じゃ」
「益次郎を斬るとき、神代直人じゃ、と隊長が名乗ったことを申しておるんです。わざわざ名乗ったばっかりに、斬り手の名は分る、配符は廻る、われわれ一党の素性《すじょう》も知られる、市中では、もう三尺の童子までわれわれを毛虫のように言いそやしておりますよ」
「阿呆! 名乗って斬ったがなんの不足じゃ、頼まれて斬ったればこそ、出所進退をあきらかにして斬ったじゃないか。直人が心底憎くて斬るときはかれこれ言わん。黙って斬るわい」
争っているその声をおどろかして、シャン、シャンと、いぶかしい馬の鈴の音が、かすかに境内の向うから伝わった。怪しむように、ふりかえったふたりの目の前へ、金丸が勢いこんで飛びこんで来たのである。
「道があけた! 先生すぐお出立《しゅったつ》のお支度なさいまし! ――小次も早く支度しろ」
「逃げられそうか!」
「大丈夫落ちられる! 東海道だ。どういう間違か、ひょんな噂《うわさ》が伝わってのう。先生らしい風態《ふうてい》の男が、同志二人とゆうべ亀山口から、東海道へ落ちたというんじゃ。それっというので、海道口の固めが解けたのよ。このすきじゃ。追っ手のあとをあとをと行くことになるから、大丈夫東京へ這入られる。――かれこれと駄々はこねんというお約束です。道中、お歩きもなるまいと思うて、こっそりと駅馬《えきば》を雇うて参りました。すぐお乗り下さいまし!」
否《いな》やを言うひまもなかった。――せき立てるように駈けあがって、くるくると身のまわりのものを取りまとめると、金丸は、ひとりで心得乍ら、直人の身体をだきあげた。
しかし、同時に、小次郎もその金丸も、思わずあっと、おどろきの声をあげた。
五日の間に、すっかり踵の弾傷《たまきず》は悪化していたのだ。
しかもいち面に膿《のう》を持って、みるから痛そうに赤く腫《は》れあがっていたのである。
「だから、手当々々とやかましく言うたんです。こんなになるまでほっとくとは呆《あき》れましたな。――お痛いですか」
「その腫れではたまらんでしょう。我慢出来ますか」
「駄々をこねるなという言いつけじゃ。駄々はこねん。気に入るように始末せい‥…」
まるで意志のない人のようだった。
さだめし、たえられぬほども痛いだろうと思われたのに、直人は、じっと金丸たちの腕にだかれたまま、身動きもしなかった。
六
しっとり暮れて、九月の秋の京の夕ぐれは、しみじみとしてわびしかった。
かわたれどきのその夕闇を縫《ぬ》い乍ら、落人《おちゅうど》たちは、シャン、シャンと鈴の音《ね》を忍ばせてすべり出るように京の町へ出ていった。
直人はひとことも口を利かなかった。意志がないばかりか、まるでそれは、僅かに息が通っているというだけの、荷物のようなものだった。
腹が減ったでしょう、食べますか、と言えば、黙って食べるのである。お疲れでしょう、泊りますか、と言えば、黙って泊るのである。
しかし、そんなでいても不思議だった。馬が歩けば、馬上の荷物も自然と歩くとみえて、京を落ちてから四日目の夕方、水口《みなくち》から関ヶ原を廻ってかくれ街道を忍んで来た落人たち三人は、ようやく名古屋の旧お城下へ辿《たど》りついた。
蕭条《しょうじょう》とした秋雨が降ったり止《や》んだりしている夕ぐれだった。
「しみったれた宿では気が滅入《めい》っていかん。景気のよさそうな奴を探せ」
「あの三軒目はどうじゃ」
「なるほど、あれなら相当なもんじゃ。めんどうだからこの辺で馬もかえせ。あすからは駕籠《かご》にしよう。乗物もちょいちょいと手を替えんと、じき足がつくからのう。――あの宿です。先生。泊りますぞ。おうい、宿の奴等、お病人じゃ。手を貸せ」
万事、おまえらまかせの直人は、ふたりが決めたその宿へ、ふたりの言うままに、黙々とだかれていった。
「どうします。先生。すぐに夕食を摂りますか」
「それとも、傷さえ浸《つ》けねばいいんだから、久方ぶりにひと風呂浴びますか」
道中、痛そうな顔さえもしなかったが、今宵《こよい》ばかりは、よくよくこらえかねたのである。
「痛い。寝たい……」
言うまもずきずきするとみえて、ぐったりと横になり乍ら、痛そうに眉《まゆ》を寄せた。
すぐに、ふっくらとした夜の物が運ばれた。
しかし、臥《ふ》せったかと思うとまもなくだった。――ゆくりなくも、思い忘れていた匂いを嗅ぎあてでもしたように、じっと目をすえ乍ら、ふんふんと鼻をうごかしていたが、突然力なく落ち窪んでいた直人の両眼が、ギラギラと怪しく光り出した。
匂って来たのだ。あの匂いが、女の匂いが、あの夜追われて、かくれて、はからずも嗅いだ肌の匂いが、髪の匂いが、女の移り香が、枕からか、夜着《よぎ》の襟《えり》からか、かすかに匂って来たのである。
「小次!」
「へい……」
むくりと起きあがると、直人が、青く笑って不意に言った。
「芸者を買おうか」
「え? ……芸者! ……突然またどうしたんでごわす」
「どうもせん。買いたくなったから買うのよ」
「その御病体で、隊長、妓《おんな》を物しようというんですか」
「物にはせん、物したくもおれは物されんから、おまえらに買わせて、この枕元で騒がせて、おれも買うたつもりになろうというんじゃ、いやか」
「てへっ。こういうことになるから、おらが隊長は、気むずかしくて怕《こわ》いときもあるが、なかなか見すてられんです。――きいたか。丸公《たまこう》。
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