事が騒動になって来たぞ。仰《おお》せ畏《かしこ》し御意《ぎょい》の変らぬうちじゃ、呼べっ、呼べっ」
「こころえた。いくたり招くんじゃ」
「おれは物されんと仰有るからには、おれたちふたりの分でよかろう。――亭主! 亭主!」
 忽《たちま》ち座が浮き立った。
 酒が来る。灯がふえる。
 台物《だいもの》が運ばれる。――色までが変ったようにあかるく浮き立ったところへ、白い顔がふたり、音もなくすべりこんだ。
「よう。美形々々」
「名古屋にしてはこれまた相当なもんじゃ」
「あちらのふとんの上に、えんこ遊ばしていらっしゃるのがおらがのお殿様でのう。殿様、病中のつれづれに、妓を呼んで、おまえら、枕元で馬鹿騒ぎせい、との御声がかりじゃ。遠慮はいらんぞ。さあ呑め、さあ唄え」
「…………」
「どうです。先生。景色がよくなりましたな。呑みますぞ」
「うんうん……」
「少しはお気が晴れましたか」
「うんうん……」
「申しわけごわせんな。女、酒、口どき上手《じょうず》、人後におちる隊長じゃごわせんが、その御病体では、身体がききますまいからな。気の毒千万、蜂の巣わんわん、――久方ぶりの酒だから、金丸は酔うたです、こら女! なにか唄え」
「…………」
「唄わんな。ではジャカジャカジャンジャンとなにか弾《ひ》け」
「…………」
「よう。素的々々、音がきこえ出したぞ。――さあさ、浮いた、浮いた、ジャカジャカジャンじゃ。代りに呑んで、代りに騒いで、殿様、芸者を買うたようなこころもちになろうというんだからのう。おまえらもその気で、もっとジャカジャカやらんといかん! ――そうそう。そこそこ、てけれつてってじゃ。
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ここは名古屋の真中で。
ないものづくしを言うたなら。
隊長、病気で女がない。
金丸、ろれつが廻らない。
てけれつてっての、てってって」
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 興《きょう》至って、そろそろとはめがはずれ出したのである。
「どうです。隊長! 金丸、いかい酩酊《めいてい》いたしました。踊りますぞ」
 ふらふらと金丸が、突然立ちあがったかと思うと、あちらへひょろひょろ、こちらへひょろひょろとよろめいて、踊りとも剣舞ともつかぬ怪しい舞いを初めた。
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「ヒュウヒュウ、ピイピイピイ。
 当節流行の暗殺節じゃ。
 ころも、腕《わん》に至り、毛脛《けずね》が濡《ぬ》れる。
 濡れる袂《たもと》になんじゃらほい。
 あれは紀の国、本能寺。
 堀の探さは何尺なるぞ。
 君を斬らずばわが身が立たん。
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 立たんか、斬らんか、――えいっ。スパリ。アハハ……。もういかん。隊長。一曲、この妓と物しとうなりました。いいでがしょう。来い。女。あっちの部屋へ参ろう!」
 くずれるようにしなだれかかって、その首へ手を巻きつけると、ぐいぐいと引っ張った。
 小次郎も廻って来たのである。
「よし来た。そのこと、そのこと、怒っちゃいけませんぞ。隊長。――いけっ、いけっ、丸公《たまこう》、別室があろう。来い! 女!」
 立ちあがって、よろよろとし乍ら歩き出そうとしたのを、じっと見守っていた直人のこめかみがぴくぴくと青く動いた。
 とみるまに、目がすわった。
 同時に、じりっと膝横のわざ物に手がかかった。
 腹が立って来たのだ。憎悪《ぞうお》がこみあげて来たのだ。
 理窟もなかった。理性もなかった。歩行も出来ない身をいいことにして、これみよがしに歓楽を追おうとしているふたりの傍若《ぼうじゃく》な振舞に、カッと憎みがわきあがったのである。
「まてっ」
「な、な、なんです! どうしたんです!」
 おどろき怪しんでふり向いたふたりの顔へ、けわしい目が飛んでいった。
「たわけたちめがっ。おれをどうする! 見せつけるのかっ。羨《うら》やましがらせをするのかっ。それへ出い!」
「ば、ば、馬鹿なっ。目の前で、枕元で芸者買いせい、と言うたじゃごわせんか! お言いつけ通りにしたのが、なぜわるいんです!」
「ぬかすなっ。それにしたとて程があるわい! ずらりと並べっ」
「き、き、斬るんですか! 同志を、仲間を、苦労を分けた手下を斬るんですか!」
「同志もへちまもあるかっ。腹が立てば誰とて斬るんじゃっ。憎ければどやつとて斬るんじゃっ――一緒に行けいっ。たわけたちめがっ」
 さっと横へ、青い光りが伸びたかと思うと一緒に、ざあっと、小次郎たちふたりの背から血がふきあがった。
 その血刀《ちがたな》をさげたまま、直人は、そぼふる雨の表へ、ふらふらと出ていった。待ちうけるようにして、バラバラと影がとびかかった。
「神代直人! 縛《ばく》につけいっ」
 しかし、直人は、もう逃げなかった。心底《しんてい》腹を立てて斬ったよろこびを楽しむように、死の待っているその黒いむれの中へ、ふらふらと這入っていった。
 ――秋もふけた十一月の五日、大村益次郎は、直人の与えた傷がもとで、あえなく死んだ。
 捕われた直人もまた、大西郷たちの心からなる助命運動があったが、皮肉なことにも、山県狂介たちの極刑派に禍《わざわ》いされて、まもなく銃殺台にのぼった。



底本:「小笠原壱岐守」大衆文学館文庫、講談社
   1997(平成9)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「佐々木味津三全集10」平凡社
   1934(昭和9)年発行
初出:「中央公論 十月号」
   1932(昭和7)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:noriko saito
2004年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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