っ」
急をしらせたとみえて、益次郎の従者が、銃口を揃《そろ》え乍ら、縄のようにもつれて駈けあがって来たのである。
「来たか! あいつはちと困る! 早くにげい!」
仕止めの第三刀を斬りおろすひまもなかった。どっと、一斉に障子を蹴倒して、五人の者は、先を争い乍ら、裏屋根伝いに逃げ走った。
追いかけて、パチパチと、銃の音があがった。
同時に、ころころと黒い影が、河原にころがりおちた。――と思うまもなく、またばったりと影がのめった。
誰と誰がどっちへ逃げて、誰と誰とがやられたかまるで見境いもつかなかった。河原の闇《やみ》の中を必死に逃げ走る影を目がけて、不気味な銃声がしばらく谺《こだま》していたが、やがてその影が消えて了《しま》ったかと思うと一緒に、ふつりと銃声もやまって、しいんと切ってすてたように、あたりが静まりかえった。
三
どの位|経《た》ったか、――それっきり河原は、音という音が全く死んで、そよとの水影さえも動かなかった。
逃げた影もおそらく遠くへ、と思ったのに、しかし突然、ぴちゃりと、沼の底のようなその闇の中から、水音が破れると、あたりの容子を窺《うかが》っているらしい気配がつづいていたが、やがて太い声が湧きあがった。
「もうよさそうだな。――おい」
「…………」
「おいというに! 誰もおらんか!」
「ひとりおります。もう大丈夫でござりまするか」
「大丈夫じゃ、早く出ろ。誰だ」
「市原でごわす」
「小次か! おまえもずぶぬれだのう。もう誰もおらんか」
「いいえ、こっちにもひとりおります」
ジャブジャブと水を掻き分けて、河の真中《まんなか》の向うから、また一つ黒い影が近づいた。
富田金丸だった。
こやつも水の中へ、首までつかり乍ら、じっとすくんでいたとみえて、長い腰の物の鞘尻《さやじり》から、ぽたぽたと雫《しずく》が垂れおちた。
「どうやら小久保と、利惣太がやられたらしいな。念のためじゃ、呼んでみろ」
「副長! ……」
「…………」
「石公! ……。利惣太……」
呼び乍ら探したが、しかし、どこからも水音さえあがらなかった。
銃声と一緒に、ころがり落ちたのは、やはりそのふたりだったのである。
「可哀そうに……。えりにえって小次と丸公《たまこう》とが生き残るとはなんのことじゃい。おまえたちこそ死ねばよかったのにのう。仕方がない、せめて髪の毛でも切って持っていってやりたいが、のそのそ出ていったら、まだちっと険呑《けんのん》じゃ。ともかく黒谷《くろだに》の巣へ引きあげよう」
先へ立って、河原伝いに歩きかけたその神代が、不意にあっと声をあげ乍らつんのめった。
「しまった! そういうおれもやられたぞ」
「隊長が! ――ど、ど、どこです! どの辺なんです!」
「足だ。左がしびれてずきずき痛い! しらべてみてくれ!」
夢中で知らずにいたが、屋根から逃げるときにでも一発うけたとみえて、左の踵《かかと》からたらたらと血を噴いていたのである。
しかし、手当するひまもなかった。
静まりかえっていた街のかなたこなたが、突然、そのときまた、思い出したようにざわざわとざわめき立ったかとみるまに異様な人声が湧きあがった。
と思うまもなく、ちらちらと、消えてはゆれて、無数の提灯《ちょうちん》の灯が、五六人ずつ塊《かたま》った人影に守られ乍ら、岸のあちらこちらに浮きあがった。
京都守備隊の応援をえて、大々的に捜索を初めたらしいのである。
「危ない! 肩をかせ! このあん梅ではおそらく全市に手が廻ったぞ。早くにげろっ」
「大丈夫でござりまするか!」
「痛いが、逃げられるところまで逃げてゆこう。そっちへ廻れっ」
苦痛をこらえて神代は、ふたりの肩につかまり乍ら、這《は》うように河原を北へのぼった。
二条河原から、向う岸へのぼれば、さしあたりかくれるところが二ヵ所ある。悲田の非人小屋として名高いその小屋と、薩摩《さつま》屋敷の二ヵ所だった。無論、薩摩屋敷へかくれることが出来たら、金城鉄壁だったが、つねに百五十人から二百人近い非人が密集していると伝えられている悲田のその小屋へ駈けこんでも、当座、身をかくすには屈強の場所だった。
「岸をしらべろっ。灯はみえんか!」
「…………」
「どうだ。だれか張っていそうか!」
「――いえ、大丈夫、いないようです」
「よしっ、あがれっ」
いないと思ったのに、灯を消して、じっとすくんでいたのである。ぬっと顔を出した三人へ、
「誰じゃっ」
するどい誰何《すいか》の声がふりかかった。――しかし、みなまで言わせなかった。富田も小次郎も、斬りたくてうずうずしていたのだ。
スパリと、左右から青い光りが割りつけた。
それがいけなかった。
ひとりと思ったのに、もうひとりすくんでいたの
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング