りとして、自分から斬ろうと思い立って斬ったものはなかった。八人が八人とも、みんな人から頼まれて斬ったものばかりだった。
それを今、直人は思い出したのである。
「しょうもない。大村を斬ったら九人目じゃ。アハ……。世の中には全く変な商売があるぞ」
「笑談《じょうだん》じゃない。なにをとぼけたこと言うちょりますか! 手飼いの衛兵は、少ないと言うても三十人はおります。腕はともかく鉄砲という飛道具がありますゆえ、嗅ぎつけられたら油断はなりませぬぞ! すぐに押し入りまするか。それとも待ちまするか」
「せくな。神代直人が斬ろうと狙ったら、もうこっちのものじゃ。そんなに床《とこ》いそぎせんでもええ。――富田《とんだ》の丸公《たまこう》」
「へえ」
「へえとはなんじゃい。今から町人の真似《まね》はまだちっと早いぞ。おまえ、花札でバクチを打ったことがあるか」
「ござりまするが――」
「坊主《ぼうず》の二十を後家《ごけ》ごろしというが知っちょるか」
「一向に――」
「知らんのかよ。人を斬ろうというほどの男が、その位の学問をしておらんようではいかんぞよ。坊主は、檀家《だんか》の後家をたらしこむから、即ち後家ごろし、――アハハ……。わしゃ、おん年十六歳のときその後家を口説《くど》いたことがあるが、それ以来、自分から思い立って仕かけたことはなに一つありゃせん。天下国家のためだか知らんがのう。斬るうぬは、憎いとも斬りたいとも思わないのに、人から頼まれてばかり斬って歩くのも、よくよく考えるとおかしなもんだぞ」
「馬鹿なっ。なんのかんのと言うて、隊長急におじけづいたんですか!」
「…………」
「折角《せっかく》京までつけて来たのに、みすみす大村の首をのがしたら、大楽どんに会わする顔がござりませぬぞ」
「…………」
「あっ、しまった隊長! ――二階の灯《ひ》が消えましたぞ!」
「…………」
「奴、気がついたかも知れませんぞ!」
せき立てるように言った声をきき流し乍ら、直人は、黙々と首を垂れて、カラリコロリと、足元の小石を蹴返《けかえ》していたが、不意にまた、クスリと笑ったかと思うと、のっそり顔をあげて言った。
「では、斬って来るか。――小次! おまえ気が立っている。さきへ這入《はい》れっ」
飛び出した市原小次郎につづいて、バラバラと黒い影が塀を離れた。
あとから、直人がのそりのそりと宿の土間へ這入っていった。
二
「どこへ参ります! お待ちなさりませ!」
「…………」
「どなたにご用でござります!」
異様な覆面姿の五人を見眺《みなが》めて、宿の婢《おんな》たちがさえぎろうとしたのを、刺客たちは、物をも言わずに、どやどやと土足のまま駈けあがった。
あとから、カラリコロリと下駄を引いて、直人も、のそのそと二階へあがった。
敷地の選定もきまり、兵器廠と一緒に兵学寮《へいがくりょう》創設の案を立てて、その設計図の調製を終った大村はほっとした気持でくつろぎ乍ら、鴨川にのぞんだ裏の座敷へ席をうつして、これから一杯と、最初のその盃《さかずき》を丁度《ちょうど》口へ運びかけていたところだった。
猪《いのしし》のように鼻をふくらまして、小次郎がおどりこむと、先ず大喝《だいかつ》をあびせた。
「藪医者! 直れっ」
しかし、藪医者は藪医者でも、この医者は只の医者ではなかった。彰義隊討伐、会津討伐と、息もつかずに戦火の間を駈けめぐったおそろしく胆《たん》の太い藪医者だった。
「来たのう、なん人じゃ……」
ちらりとふりかえって、呑みかけていた盃を、うまそうにぐびぐびと呑み干《ほ》すと、しずかに益次郎は、かたわらの刀を引きよせた。
人物の器《うつわ》の桁《けた》が違うのである。――気押《けお》されて、小次郎がたじろいだのを、
「どけっ。おまえなんぞ雑兵《ぞうひょう》では手も出まい。おれが料《りょう》る!」
掻き分けるようにして、直人が下駄ばきのまま、のっそりと前へ出ると、にっときいろく歯を剥《む》いて言った。
「遺言はござらんか」
「ある。――きいておこう。名はなんというものじゃ」
「神代直人」
「なにっ。そうか! 直人か! さては頼まれたな!」
きいて、こやつ、と察しがついたか、一刀わしづかみにして立ちあがろうとしたのを、抜き払いざまにおそった直人の剣が早かった。
元より見事に、――と思ったのに、八人おそって、八人仕損じたことのない直人の剣が、どうしたことかゆらりと空《くう》に泳いだ。
しかし二の太刀はのがさなかった。立ちあがった右膝《みぎひざ》へ、スパリと這入って、益次郎は、よろめき乍らつんのめった。
それを合図のように、バタバタと、けたたましい足音が、梯子段《はしごだん》を駈けあがった。
「あっ。隊長! 衛兵じゃ! 銃が来ましたぞ
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