落ちてから四日目の夕方、水口《みなくち》から関ヶ原を廻ってかくれ街道を忍んで来た落人たち三人は、ようやく名古屋の旧お城下へ辿《たど》りついた。
蕭条《しょうじょう》とした秋雨が降ったり止《や》んだりしている夕ぐれだった。
「しみったれた宿では気が滅入《めい》っていかん。景気のよさそうな奴を探せ」
「あの三軒目はどうじゃ」
「なるほど、あれなら相当なもんじゃ。めんどうだからこの辺で馬もかえせ。あすからは駕籠《かご》にしよう。乗物もちょいちょいと手を替えんと、じき足がつくからのう。――あの宿です。先生。泊りますぞ。おうい、宿の奴等、お病人じゃ。手を貸せ」
万事、おまえらまかせの直人は、ふたりが決めたその宿へ、ふたりの言うままに、黙々とだかれていった。
「どうします。先生。すぐに夕食を摂りますか」
「それとも、傷さえ浸《つ》けねばいいんだから、久方ぶりにひと風呂浴びますか」
道中、痛そうな顔さえもしなかったが、今宵《こよい》ばかりは、よくよくこらえかねたのである。
「痛い。寝たい……」
言うまもずきずきするとみえて、ぐったりと横になり乍ら、痛そうに眉《まゆ》を寄せた。
すぐに、ふっくらとした夜の物が運ばれた。
しかし、臥《ふ》せったかと思うとまもなくだった。――ゆくりなくも、思い忘れていた匂いを嗅ぎあてでもしたように、じっと目をすえ乍ら、ふんふんと鼻をうごかしていたが、突然力なく落ち窪んでいた直人の両眼が、ギラギラと怪しく光り出した。
匂って来たのだ。あの匂いが、女の匂いが、あの夜追われて、かくれて、はからずも嗅いだ肌の匂いが、髪の匂いが、女の移り香が、枕からか、夜着《よぎ》の襟《えり》からか、かすかに匂って来たのである。
「小次!」
「へい……」
むくりと起きあがると、直人が、青く笑って不意に言った。
「芸者を買おうか」
「え? ……芸者! ……突然またどうしたんでごわす」
「どうもせん。買いたくなったから買うのよ」
「その御病体で、隊長、妓《おんな》を物しようというんですか」
「物にはせん、物したくもおれは物されんから、おまえらに買わせて、この枕元で騒がせて、おれも買うたつもりになろうというんじゃ、いやか」
「てへっ。こういうことになるから、おらが隊長は、気むずかしくて怕《こわ》いときもあるが、なかなか見すてられんです。――きいたか。丸公《たまこう》。
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