た時の容子《ようす》も腑《ふ》に落ちかぬるところがあったようじゃ。林田達みなの者と一緒にそちのところへも火急出仕の使いが参った筈なのに、その方ひとりだけ、このように遅参したのも不審の種じゃ。のう! 何ぞ仔細があろう。かくさずに言うてみい!」
「いえ、あの、殿!」
ついと横からそれを千之介ならで林田門七が奪い乍らさえ切ると、すべてのその秘密を知りつくしているがためにか、君前を執《と》り成《な》そうとするかのように言った。
「この男のことならばおすておき下さりませ。千之介の泣き虫はこの頃の癖で厶ります。それよりもうお灯《あか》りをおつけ遊ばしたらいかがで厶ります?」
「なに? 灯り? そう喃。――いや、まてまて。暗ければこそ心気も冴えて、老人共の長評定《ながひょうじょう》も我慢出来ると申すものじゃ。すておけ、すておけ。それより千之介の事がやはり気にかかる。のう! 波野! どうしたぞ? 早う言うてみい!」
「いえ、あの、殿――」
再び門七が慌《あわ》てて遮切《さえぎ》ると、千之介を庇《かば》うように言った。
「何でも厶りませぬ。仔細は厶りませぬ。気鬱症《きうつしょう》にでもとり憑《つ》かれましたか、月を見ると――、そうで厶ります。馬鹿な奴めが、月を見るといつもこの通りめそめそするのがこの男のこの頃の病で厶りますゆえ御見のがし下さりませ。それよりあの――」
「アハハハ……」
突然というよりもむしろ不気味な変り方だった。ふいと笑い声をあげ乍ら、そうしてふいと切ってすてでもしたように笑いをやめると、遠い空《くう》を見つめ乍ら何ごとかまさぐり思案していた長国が呟くように言った。
「月か……。月にかこつけて了《しも》うたか。いやよいよい。乱世じゃ。乱世ともならば月を見て泣く若侍もひとりやふたり出て参ろうわ。アハハハ……。そう言えば月の奴めもいちだんと気味わるう光り出して参った。――のう! そち達!」
不意だった。むくりと脇息から身を起すと、襟《えり》を正すようにして突然言った。
「怪談をするか! のう! 気を張りつめていたいのじゃ。今から怪談を始めようぞ」
「……?」
「……!」
「ハハハ……。いずれも首をひねっておるな。長国、急に気が立って参ったのじゃ。いまだに何の使者も大広間から来ぬところを見ると、相変らず老人達が小田原評定の最中と見ゆる。気の永い奴等めがっ。じれじれするわ。のう! どうじゃ。一つ二つぞっとするような怪談聞こうぞ」
「……!」
「……?」
「まだ不審そうに首をひねっておるな。長国の胸中分らぬか! 考えてもみい。今宵こうしているまも、山一つ超えた会津では、武道の最後を飾るために、いずれも必死となって籠城の準備の最中であろうわ。いや、中将様も定めし御本懐遂げるために、寝もやらず片ときの御油断もなく御奔走中であろうゆえ、蔭乍ら御胸中拝察すると、長国、じっとしておれぬ。せめて怪談なときいて、心をはりつめ、気を引きしめていたいのじゃ。誰ぞ一つ二つ、気味のわるい話持ち合せておるであろう。遠慮のう語ってみい」
「なるほどよいお思いつきで厶ります。いかさま怪談ならば、気が引締るどころか、身のうちも寒くなるに相違厶りませぬ。なら、手前が一つ――」
漸《ようや》く主候《との》の心中を察することが出来たと見えて、膝のり出したのは石川六四郎だった。
「あり来たりと言えばあり来たりの話で厶りまするが、手前に一つ、家重代取って置きの怪談が厶りますゆえ、御披露致しまするで厶ります」
「ほほう、家重代とは勿体《もったい》つけおったな。きこうぞ。きこうぞ。急に何やら陰《いん》にこもって参って、きかぬうちから襟首が寒うなった。離れていては気がのらぬ。来い、来い。みな、もそっと近《ちこ》う参って、ぐるりと丸うなれ」
ほの暗い書院の中を黒い影が静かに動いて、近侍達は膝のままにじり寄った。濃い謎を包んでいる千之介も、みんなのあとからおどおどとし乍ら膝をすすめた。しかし依然としてしょんぼりとうなだれたままだった。――うなだれつつ、必死とまた声をころして幽《かす》かにすすり泣いた。
「やめろと申すに!」
言うように林田が慌ててツンと強くその袖を引いて戒《いまし》めた。
――たしかに門七は千之介のその秘密を知りつくしているのである。
「ではきこうぞ」
「はっ……」
しいんと一斉に固唾《かたず》を呑んだ黒い影をそよがせて、真青《まっさお》な月光に染まっている障子の表をさっとひと撫《な》で冷たい夜風が撫でていった。
そうして黒い六つのその影の中から、しめやかに沈んだ話の声が囁《ささや》くよう伝わった。
「――先年亡くなりました父からきいた話で厶ります。御存じのように父は少しばかり居合斬りを嗜《たしな》みまして厶りまするが、話というのはその居合斬りを習い覚
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