右手《めて》一つで咄嗟《とっさ》に抜き払ったその一刀が、ぐさりと千之介の腰車《こしぐるま》に喰い入った。
 そうして言った。おどろいたように言った。
「おう! 千之か! 誰かと思うたのにおぬしだったか!」
「お、おぬしだったかがあるものか! 妻を盗んだ不埒者《ふらちもの》めがっ。千之が遺恨の刃《やいば》、思い知ったか」
「そ、そうか! では、では、お身、今の話をまことと信じたか!」
「なにっ。う、嘘か! 嘘じゃと申すか」
「嘘も嘘も真赤な嘘じゃわ! あの貞女が何しにそんないたずらしようぞ! 袖の破れを縫うて貰うたは本当のことじゃが、あとのことは、みなつくり事じゃわ!」
「油のしみはどうしたのじゃ! その片袖の油の匂いはどうしたと言うのじゃ!」
「縫うて貰うているすきに知りつつ細工したのじゃわ。それもこれもみなおぬしに、武道の最期、飾らせたいと思うたからじゃ。女ゆえに見苦しい振舞でもあってはと――そち程の男に、女ゆえ見苦しい振舞いがあってはと、未練をすてさせるために構えて吐《つ》いた嘘であったわ」
「そうか! そうであったか! 逸《はや》まったな! 斬るとは逸まったことをしたな……」
「俺もじゃ。この門七も計りすぎたわ。その上、おぬしと知らずに斬ったは、俺も逸まったことをしたわ……」
 嘆き合っているとき、突如、夜陰の空に谺《こだま》して、ピョウピョウと法螺《ほら》の音《ね》がひびき伝わった。
 あとから、鼕々《とうとう》と軍鼓の音が揚った。――同時に城内くまなくひびけとばかりに、叫んだ声が流れ伝わった。
「出陣じゃ! 出陣じゃ!」
「俄《にわ》かに藩議がまとまりましたぞう!」
「会津へ援兵と事決まりましたぞう!」
「出陣じゃ! 出陣じゃ!」
 きくや、手負いの二人は期せずして目を見合せ乍ら言った。
「千之!」
「門七!」
「無念じゃな……」
「残念じゃな……」
「ここで果つる位ならば、本懐遂げて死にたかったわ」
「そうよ、華々しゅう斬り死にしたかったな」
「許せ。許せ」
「俺もじゃ。せめて見送ろう!」
「よし行こう!」
 左右から這《は》い寄ると、血に濡れ、朱《あけ》に染みた二人はひしと力を合せて抱き合いつつ、よろめきまろぶようにし乍ら、漸《ようや》く表の庭先まで出ていった。
 同時に二人の目の向うの、月光散りしく城内|遥《はる》かの広場の中を騎馬の一隊に先陣させた藩兵達の大部隊が軍鼓を鳴らし、法螺《ほら》の音《ね》を空高く吹き鳴らし乍ら、二|旒《りゅう》の白旗を高々と押し立ててザクザクと長蛇のごとく勇ましげに進んでいった。
 それをお物見櫓《ものみやぐら》の上から見おろし乍ら、悦《よろこ》ばしげに君侯の呼ばわり励ます声が、冴えざえと青白く冴えまさっている月の光の中を流れて伝わった。
「行けい!」
「行けい!」
「丹羽長国の名を恥かしめるでないぞ!」
「行けい!」
「行けい!」
「二本松藩士の名を穢《けが》すでないぞ!」
「行けい!」
「行けい!」
 ききつつ二人が言った。
「御本懐そうよのう」
「御うれしげじゃのう」
 言い乍ら、ふいと門七が思い当ったとみえて、ぞっとなったように身ぶるいさせ乍ら言った。
「あれじゃ! 千之! 崇ったぞ! あの怪談話したゆえの崇りに相違ないぞ!」
「のう! ……」
 ガックリと首を垂れて、断末魔の迫って来た二人の目に、青白い月光の下を静かに流れ動いて行く二旒の白旗が大きな二本の歯のように映った……。



底本:「小笠原壱岐守」大衆文学館文庫、講談社
   1997(平成9)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「佐々木味津三全集10」平凡社
   1934(昭和9)年発行
初出:「中央公論 二月号」
   1931(昭和6)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:noriko saito
2004年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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