とり乍ら、そばへ引よせた。
「きんのう来たとき、襟足《えりあし》を剃《そ》れと言うたのに、まだ剃らんの」
「でも、忙しいんですもの……」
「忙しい忙しいと言うたところで、こんな家へ八|字髭《じひげ》の旦那方は来まいがな。みんなおれたちみたいな風来坊ばかりじゃろうがな」
「ええ、それはそうですけれど……」
「毎日|文《ふみ》を書いたり、たまにはいろ男にも会《お》うたりせねばならんゆえ、それが忙しいか」
「まあ、憎らしい……」
紅《べに》をうめたような笑《え》くぼをつくって、甘えるように笑うと、女は、そっと目で言った。
「このおつれさん? ……」
「うん、酒じゃ」
「あなたさまも?」
「呑もうぜ。料理もいつものようにな。きのうのようにまた烏賊《いか》のさしみなんぞを持って来たら、きょうは癇癪《かんしゃく》を起すぞ、あまくて、べたべたと歯について、あんなもの、長州人の喰うもんじゃ。おやじによく言ってやれ」
立ちあがろうとしたのを、慌《あわ》てて新兵衛は、目交《めま》ぜで止め乍ら、まだなにか言いたそうに、もじもじとしていたが、平七の顔いろを窺《うかが》い窺い、女を隣りの部屋へつれて行くと、
前へ
次へ
全33ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング