権を藉《か》りて挑《いど》み参らば、主水之介、眉間傷の威を以って応対いたそう。参れ」
くるくると巻いてその果し状を小柄《こづか》へ結《ゆわ》いつけると、
「少し痛いぞ。天罰じゃ。我慢せい」
プツリと背中の肉を抉《えぐ》って小柄を縫いとおしました。
ひいひいと身をよじって悲鳴をあげた小侍を、どんと蹴起しながら小気味よげに言い放ちました。
「十五郎はもっと痛い目に会うているわッ、たわけものめがッ。いのちがあるだけ倖《しあわ》せじゃ。早う飛んで帰って腰本治右にしかじかかくかくとあることないこと搗《つ》きまぜて申し伝えい。アッハハ。……ずんと涼しゅうなった。梅甫夫婦また来てやるぞ。売られた喧嘩でも喧嘩のあとはまた、しっぽりとしていいもんじゃ。たんと楽しめ」
ぽたぽたと血を撒きながら、飛んでいった小侍のあとから、退屈男の颯爽とした姿がゆらりゆらりと涼しげに街の灯の中へ遠のきました。
八
「アッハハ……。罷り帰ったぞ。兄は機嫌がよいぞ」
いとも機嫌よく帰っていったところは、妹菊路と小姓京弥と、あでやかなお人形たちが待っていたおのが屋敷です。
待っていたというものの、この美しく憎らしやかな人形たちは、兄主水之介のいない方がいいとみえて、なんということもなく戯《たわ》むれに戯《たわ》むれていた手をパッと放すと、ふたりとも真赤になって迎えました。
「おかえり遊ばしませ……」
「何じゃい。気の抜けたころおかえり遊ばせもないもんじゃ。煮て喰うぞ。アッハハハ。兄が留守してうれしかったか」
「ああいうことばっかり……。ご機嫌でござりますのな」
「機嫌がようてはわるいかよ」
「またあんなことばっかり……。どこへお越しでござりました」
「あっちへいってのう」
「どこのあっちでござります」
「鼻の先の向いたあっちよ」
「またあんなことばっかり……。わたし、もう知りませぬ」
「わたしもう知りませぬ。わッははは。怒ったのう。おいちゃいちゃの巴御前《ともえごぜん》、兄が留守したとても、あんまり京弥とおいちゃいちゃをしてはいかんぞよ。兄はすばらしい恋の鞘当《さやあて》買うてのう。久方ぶりで眉間傷が大啼きしそうゆえ上機嫌じゃ。先ず早ければあすの朝、お膳立てに手間をとれば夕方あたり、――果報は寝て待てじゃ。床取れい」
心待ちしながら上機嫌でその朝を迎えたのに、しかし腰本治右衛門からは、何の音沙汰もないのです。
夕方までには、何か仕かけて来るだろうと待っていたが、やはりないのでした。
二日経っても来ない。
三日経っても来ない。
「腰本|治右《じえ》は意気地がのうても、娘は将軍家の息がかかっておるという話じゃからのう、おてかけ馬に乗って来そうなものじゃが――」
「何でござります。お将軍さまのお息がかかるというのは何のことでござります」
「おまえと京弥みたいなものよ」
「菊路はそんな、京弥さまに息なぞかけたことござりませぬ」
「アハハ。かけたことがなければ急いでかけいでもいい。このうえ見せつけられたら、兄は焼け死ぬでのう。あすは来るやも知れぬ。来たら分るゆえまてまて」
しかし、四日が来たのにやはり何の沙汰もないのです。
五日が経《た》ったがやはりない。
こっちへは何の挑戦がなくとも湯島の方へ何か仕掛けたら、梅甫から急の使いでも来そうなのに、それすらもないのです。
いぶかしみつつ六日目の夕方を迎えたとき、京弥が色めき立って手をつきました。
「来たか!」
「はッ」
「何人じゃ」
「ひとりでござります」
「なに、ひとり?」
「このようなもの持参いたしました」
「みせい!」
さし出したのは、すばらしくも贅沢《ぜいたく》きわまる文筥《ふばこ》なのです。
しかし、中の書状に見える文字《もんじ》は、またすばらしくもまずい金釘流なのでした。
「てまえごときもの、とうてい、お対手は出来申さず候。ついてはおわび旁々《かたがた》、おちかづきのしるしに、粗酒一|献《こん》さしあげたく候間、拙邸《せってい》までおこし下さらば腰本治右衛門、ありがたきしあわせと存じ奉りあげ候」
粗酒一献とあるのです。
拙邸ともある。
「わッははは。黒鍬組の親方、漢語を使いおるのう。拙邸と申しおるぞ。使いはいずれじゃ」
「お玄関に御返事お待ち申しておりまする」
「今行くと伝えい! 乗り物じゃ。すぐ支度させい!」
「御前、おひとりで?」
「そうだ。わるいか」
「でも、もし何ぞよからぬ企らみでもござりましたら――」
「企らみがあったら、ピカリと光るわ。江戸御免の眉間傷|対手《あいて》に治右《じえ》ごとき何するものぞよ。あとで菊路とおいちゃいちゃ遊ばしませい。わッははは。六日待たすとはしびれを切らしおった。いつ罷りかえるか分らぬぞ」
乗って本所長割下水を出かけたのが日
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