うでえ》! ひとッ走りにいって来ようぜ」
「合点だ! 支度しな!」
四人ともに粒が揃っているのです。イナセ早気の鳶の者七五郎にせき立てられて、江戸の底に育ち、底を歩き、底を泳ぐが達者の四人は、その場に命ぜられた町々へ飛び出しました。
「小気味のよい者共じゃ。篠崎流の軍書にも見えぬ智慧才覚じゃが、あれに気がつくとは主水之介の眉間傷もまだ錆《さ》びぬかのう。――京弥。ゆるゆる待とうぞ。菊路に琴でも弾かせい」
これがまた落付いているのです。千二百石直参旗本の貫禄を肱枕にのせて、長々とそこに横たわりながら、やがて弾き出した琴の音に聴き入りつつ、目を細めつつ、京弥菊路のふさわしい一|対《つい》を眺めつつ、出来るものなら生れ代って二日か三日主水之介になりたい位でした。
かくして待つこと三|刻《とき》――。
暮れ易い冬ざれの陽はいつか黄昏《たそがれ》そめて、訪れるは水の里に冷たい凩《こがらし》ばかり。
「只今立ち帰りました。御前! 分りましたぞ!」
景気よく飛び込んで来たのは、鳶の七五郎です。あとからぞろぞろと三人。
「ほほう。みな揃うて帰ったな。どこで落ち合うたのじゃ」
「遠藤主計頭様はなんしろ御大名、ヘマを踏んで引ッくくられでもしちゃ大変だから、その時はお屋敷へしらせてお殿様にお救い願おうと存じまして、万一の用意にと、床新さん達に用のすみ次第、あちらへ廻って貰ったんでござんす。その遠藤様が仕掛け細工の張本人ですぜ」
「なにッ。そうか! そうであったか! 仕掛け細工とは何をしたのじゃ」
「何うもこうもねえんですよ。太《ふて》え御了簡ッちゃありゃしねえ。どうして探り出そう、誰から嗅ぎ出そうと手蔓《てづる》をたぐって行くうちにね、ゆうべこちらへ御菓子折とかを届けためくらとあの若い野郎とを嗅ぎ当てたんですよ。めくらはお出入り按摩、若い奴も同じお出入りの小間物屋だそうでござんすが、こちらへお伺いしたからには、何もかも話せばいいのに、うっかり申しあげたら、御殿様にバッサリやられそうな気がしたんで、怕い怕いの一心から、ひた隠しに隠してひた逃げに逃げて帰ったんだそうですがね。事の起りゃ御身分甲斐もねえ、みんな遠藤様の横恋慕からなんですよ。三日にあげず通いつめたが、御存じのように誰袖花魁には真夫《まぶ》がある。ぬしと寝ようか五千石取ろうかの段じゃねえんです。万石《まんごく》積んでも肌一つ見せねえというんで、江戸ッ児にゃ気に入らねえお振舞いをなすったんですよ。源七どんと誰袖を手もなく浚《さら》って、屋敷へ閉じこめ、切れろ、別れろ、別れなきゃこれだぞと、毎日毎夜古風な責め折檻《せっかん》に嫉刄《ねたば》を磨いでいらっしゃると言うんですがね。対手は曲輪《くるわ》育《そだ》ちの気性の勝った花魁《おいらん》だ。なかなかうんと言わねえんで、だんだん日が経つ、世間が騒いで悪事露見になりゃ御家の名に傷がつくというところから、人目をごまかそうと遠藤様がひと狂言お書きなすって、仰せの心中者をひと組こしらえたというんですよ。それも聞いてみりゃむごい事をしたもんじゃござんせんか。年頃恰好の似通ったお屋敷勤めの若党と女中の二人をキュウと絞め殺させてね、源七どんに無理無体書置をしたためさせて、ぽっかり大川へ沈めたというんです。そうして置けば、世間は心中したろうと思い込んで、騒ぎもなくなるし、人目もたぶらかすことが出来るから、そのすきにゆっくり責め立てて、二人に手を切らし、まんまと誰袖を手生けの花にしようと、今以て日夜の差別なく交る交る二人を折檻しているというんですがね」
「ほほうのう! ならば源七をバッサリやればよい筈、邪魔な真夫《まぶ》を生かしておいて、似せの心中者を細工するとはまたどうした仔細じゃ」
「そこが江戸花魁のうれしいところでござんす。斬りたいは山々でしょうが、源七どんに万一のことがありいしたら、わちきも生きてはおりいせぬ、とか何とか程よく威《おど》しましたんでね、元も子も失《な》くしちゃ大変と、首をつないでおいて、下郎風情があのような別嬪《べっぴん》を私するとは不埓至極じゃ、分にすぎるぞ。手を切れ、たった今別れろと、あくどく源七どんを御責めになっていらっしゃると言うんですが、二人にとっちゃ必死も必死の色恋に相違ねえから、どうぞして逃れたい、救い出して貰いたいと考えた末、ふと思い出したのは――」
「身共の事じゃと申すか!」
「そうでござんす! そうなんでごぜえます! 対手はとにもかくにも城持ち大名、これを向うに廻して、ひと睨《にら》みに睨みの利くのは傷のお殿様より他にはあるまいと、二人が二人、同じように考え当って、源七どんは出入りの按摩に、誰袖花魁は小間物屋の若い衆に、こっそりとお使いを頼み込んだというんですがね。気に入らねえのは使いに立ったその二人ですよ。しかじか斯々《かくかく》でごぜえますからと早く言えばいいものを、お殿様程の分った御前を、怕いの恐ろしいのと思い違えて逃げ帰ったのがこんな騒ぎのもととなったんでごぜえます」
「不埓者《ふらちもの》めがッ。傷がむずむずと鳴いて参った! 京弥! 千二百石直参旗本の格式通り供揃いせい!」
颯爽たる声でした。すっくと立ち上がって、手馴れの平安城相模守《へいあんじょうさがみのかみ》をたばさむと、駕籠は塗り駕籠、奴合羽《やっこがっぱ》に着替えさせた鳶の七五郎達四人を供に、京弥召し随えて直ちに行き向ったところは、赤坂溜池際の遠藤屋敷です。
四
乗りつけたのは、とっぷり暮れた六ツ下がりでした。
「京弥、つづけッ」
すべてが只颯爽、小気味がいい位です。ずいずいと式台にかかると、
「早乙女主水之介、眉間傷御披露に罷り越した、通って参るぞ。主計頭どの居室に案内《あない》せい」
注進するひまも止めるひまもない。打ちうろたえて、まごまごしている近侍の者達に、ピカリピカリと傷の威嚇を送りつつ、悠揚として案内させていったところは、奥書院の主計頭が居室でした。
「誰じゃ。何者じゃ。どたどたと騒がしゅう振舞って何者じゃ」
四十がらみの、ずんぐりとした好き者《しゃ》らしい脂肉《あぶらじし》を褥の上からねじ向けて、その主計頭がいとも横柄に構えながら、二万四千石ここにありと言いたげに脇息《きょうそく》もろ共ふり返ったのを、ずいとさしつけたのはあの三日月形です。
「この傷が見参じゃ。とく御覧召されい」
「よッ。さては――いや、まさしく貴殿は!」
「誰でもござらぬ。早乙女の主水之介よ。うい傷じゃ、その傷もって天上御政道を紊《みだ》す輩《やから》あらば心行くまで打ち懲《こ》らせ、とまでは仰せないが、上将軍家御声がかりの直参傷《じきさんきず》じゃ。当屋敷うちに、誰袖源七の幽霊がおる筈、のちのちまでの語り草にと、これなる傷にて買いに参った。早々にこれへ出さッしゃい」
「なにッ。――知らぬ! 知らぬ! いや、左様なもの存ぜぬわッ。幽霊が徘徊《はいかい》致すなぞと、うつけ申して狂気と見ゆる! みなの者! みなの者! 何を致しおるかッ。この狂気者、早う補えい!」
股立《ももだち》とって、バラバラと七八名が取り巻こうとしたのを、只ひと睨み!
「控えい! 陪臣《またもの》!」
一|喝《かつ》しながら泰然としたものでした。
「身共のこの傷、何と心得おるかッ。百石二百石のはした米《まい》では、しみじみお目にもかかれぬ傷じゃ。よう見い。のう! 如何《どう》ぞ! わははは。ずうんと肝《きも》にこたえたと見ゆるな。――遠藤侯!」
チクリと痛いところを静かに浴びせかけたものです。
「お身、時折は鏡を御覧召さるかな」
「なにッ。雑言《ぞうごん》申して何を言うかッ。小地たりとも美濃八幡二万四千石、従四位下を賜わる遠藤主計頭じゃ。貴殿に応対の用はない。とく帰らっしゃい」
「ところが帰れぬゆえ、幽霊の念力《ねんりき》は広大なものでござるよ。二万四千石とやらのそのお顔、時折りは鏡にうつして御覧召されるかな」
「要らぬお世話じゃ。見ようと見まいとお身の指図うけぬわッ」
「いや、そうでない。そのお顔でのう。ウフフ。あはは。まあよう見さっしゃい。ずんぐりとしたそのお顔で曲輪通いをなさるとは、いやはやお肝の太いことでござる。ましてや、曲輪の遊びは大名風が大の禁物、なにかと言えば二万四千石が飛び出すようでは、誰袖に袖にされるも当り前じゃ。ぜひにも幽霊買わねばならぬ! 早うこれへ出さっしゃい!」
「不埓申すなッ。お身こそ直参風を吹かせて、何を申すかッ! 知らぬ! 知らぬ! 身に覚えもない言いがかりを申しおって、誰袖とやらはゆめおろか、源七とやらも幽霊も見たことないわッ。帰れと申すに御帰り召さずば、屋敷の者共みな狩り出し申すぞッ」
「わはは。古手の威《おど》し申されたな。問答無益じゃ。御存じないとあらば屋探し致して心中者の幽霊買って帰りましょうぞ。近侍の者共遠慮は要らぬ。案内せい!」
ピカリと威嚇しながら、睨みすえつつ屋敷の奥へ踏み入ろうとしたのを、主計頭、必死でした。さっと立ち上がると形相《ぎょうそう》物凄く呼びとめました。
「控えられい! お控え召されよッ」
「何でござる」
「かりそめにも当館《とうやかた》は、上将軍家より賜わった大名屋敷じゃ。大名屋敷詮議するには、大目付衆のお指図お許しがのうてはならぬ筈、お身、それを知ってのことかッ」
「ウフフ。お出しじゃな。とうとうそれをお出し召さったか。――止むをえぬ。お家を無瑾《むきず》に庇《かば》って進ぜようと思うたればこそ、主水之介わざわざ参ったが、それをお出しとあらば致し方ござらぬわい。お目付衆の手を煩《わずら》わすまでもないこと、ようござる! 今より主水之介、じきじきに将軍家へ言上申上げて、八幡二万四千石木ッ葉みじんに叩きつぶして見しょうぞ。――ウフフ。京弥、下賤の色恋にまなこ眩《くら》んでいるお大名方には、この三日月形、利きがわるいと見えるわい。では、負けて帰るかのう。急いで参れよ」
ガラリと、俄かの変り方でした。ウフフと不気味に笑って、さっさと引き揚げて行くと、――帰る筈がない! 主水之介程の男が、そのまま引き揚げて行く筈はないのです。
門を出ると同時に、ぴたりとそこの物蔭に姿をかくすと、京弥を初め七五郎達四人に鋭く命じました。
「あれじゃ、あの手じゃ。篠崎流の兵法用いて、アッと言わしてやろうぞ。手分け致して早う門を見張れッ」
「何を見張るのでござります」
「知れたこと、主計頭とて二万四千石は惜しい筈じゃ。じきじきに将軍家へ言上しょうと威《おど》したからには、お吟味屋敷改めされるを惧《おそ》れ、慌てふためいて今のうちに誰袖達をどこぞへ運び去って、隠し替えるに相違ないわ。それを押えるのじゃ。門を見張って、運び出したところを、そっくりそのまま頂戴するのよ。身共はこの正門受持とうぞ。そち達も手分けして三方を固めい」
「心得ました。そうと決まりますれば、京弥、北口不浄門を見張りましょうゆえ、七五郎どの新吉どの両人は東口を、東五郎どの長次どの御両人は西口を御見張り召されよ。ではのちほど――」
「まて! まてッ」
「はッ」
「いずれは警固もきびしく運び出すであろうゆえ、それと分らば合図致せよ」
「心得ました!」
ひたひたと三手に分れていずれもまっしぐら。――ざわ、ざわ、ざわと、庭の繁みの葉末を鳴らして、不気味な夜風です。
主水之介は、ぬッと築地《ついぢ》わきに佇んだままで、薄闇の向うの門先を見守りました。
しかし出ない。
人影はゆめおろか、犬一匹屋敷うちからは姿を見せないのです。
合図の声もない。
北口不浄門からも、東口御小屋門からも、西口脇門からも、何の声すらないのです。
「はてのう? バラしたかな」
いぶかっているとき――。
「殿様え! 殿様々々。出ましたぞう!」
突如、闇を裂《さ》いて伝わって来たのは、まさしく東口御小屋門のかなたからです。
同時に一散走りでした。
駈けつけて見すかすと、なるほど八九名の影がある。しかも大きな長持を一|挺《ちょう》担《にな》わせて、その黒い影の
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