ていた位でござります。誰袖源七何じゃいな、あれは曲輪《くるわ》の重ね餅、指を咥《くわ》えてエエくやしい、とこんなに言い囃《はや》している位の仲でござりますゆえ、今も六兵衛どんにそれとなく聞き質《ただ》して見たのでござりまするが、それ程の深い仲なら添わせてやらないものでもなかったのに、生きておるやら死んだやら、これがまことの二人ならば、比翼塚《ひとよくづか》でも建てましょうにと、しんみり承わっていたところでござります」
 不思議です。謎も疑問もその一つでした。あれは曲輪の重ね餅とまでうらやましがられていた二人の仲を何者か憎んで、何か容易ならぬ企らみでもやったか、それとも本人同士が親の六兵衛に叱責されるのを恐れて、表面心中した風に見せかけながら、実はどこぞに隠れてこっそり添いとげているのか、いずれにしても謎は人違いのこの死体です。しかもその水死体にはいぶかしいくびり痕《あと》が歴然として見えるのです。
「のう! ……その両人が菓子折二つを身共に届けて参ったとは、なおさら解《げ》せぬ謎じゃ。亭主! 三ツ扇屋の亭主!」
「へえへえ。何でござります」
「いずれは誰袖に通いつめたお客が、沢山あるであろうな」
「ある段ではござりませぬ。ざッと数えて三十人。その中でもとりわけ御熱心な方々と申せば――」
「誰々じゃ」
「筆頭《ふでがしら》は言うまでもないこと、こちらの源七どん。つづいては本石町の油屋藤右衛門どんの伜又助どん。浅草の大音寺前に人入れ稼業を営みおりまする新九郎どんのところの若い者十兵衛。それから――」
「それから誰じゃ」
「ちとこれは他言を憚《はば》りまするが、遠藤|主計頭《かずえのかみ》様が、お忍びでちょくちょくと参られまするでござります」
「なにッ。遠藤どのとのう! 主計頭どのはたしか美濃|八幡《やわた》二万五千石を領する城持ちじゃ。一国一城のあるじが、そちのごとき中店《ちゅうみせ》の抱え遊女にお通い召さるとは、変った風流よのう。源七をのぞいての三人はどんな持て方じゃ。ちッとはよい顔を見せたか」
「何ともはやお気の毒でござりまするが、いくら遊女でござりましょうと、ほかに二世かけたかわいい男のある者が、そうそう大勢様にいい顔なぞ見せられる筈がござりません。夜伽《よとぎ》は元より、呼ばれましても座敷へ出ぬ時さえたびたびでござります」
「それゆえ熱うなってなお通ったと申すか。いや、面白い。面白い。心覚えに致しておく要がある。今いちどそれなるうつけ者達ののぼせ番附《ばんづけ》呼びあげてみい」
「心得ました。大関は当家の伜源七どん、関脇は本石町油屋藤右衛門どのの伜又助どん。小結は新九郎身内十兵衛。張り出し大関が遠藤主計頭様というわけでござります」
「ようしッ。主水之介、傷にかけてもこの謎解いて見しょうぞ。六兵衛、火急に白木の建札十枚程用意せい」
 不思議な注文でした。糸屋六兵衛一家の者が総動員でこしらえた十枚の建札を、ズラズラと縁先へ並べさせると、墨痕琳璃《ぼっこんりんり》と書きしたためた文句がまた不思議です。

一、足の早き者。
一、耳敏《みみさと》きもの。
一、人の噂、もしくは世上の事どもに通ぜし者。
同じく人の悪口きくを好み、人のアラ探り出すが得手《えて》なる者。
一、博奕《ばくえき》を好む者にて、近頃ふところ工合よろしからざる者。
右の条々に該当する者共、この建札目にかかり次第予が屋敷へ参らば、金子一両ずつ遣わすべし。
 本所長割下水、傷の旗本、早乙女主水之介。

「ウフフ。あはは。さぞや亡者《もうじゃ》が沢山参ろうぞ。六兵衛、三ツ扇屋の亭主、安心いたせよ。主水之介しかと引きうけたからには、江戸八百八町が只の八町になろうとも、必ず共にこの不審解き明かして見しょうわ。今宵のうちがよい。これなる建札早々に目貫《めぬき》の場所へ押し立てさせい。――では京弥、菊路のところへ参ろうぞ」
 ピカリピカリと眉間傷を光らせて、そのままエイホウホウと乗物を打たせました。

       三

 その翌日――。
 長割下水のあたりは早朝から、押すな押すなと言いたい位の雑沓でした。勿論、退屈男が八百八町ところどころの盛り場へ建てさせた、あの不審きわまりない建札が吸いよせた人出です。――あとからあとからと極々雑多色とりどりの人影がつづいて、ざッと二三百名でした。
 着流しがある。七三にはし折っている奴がある。
 頬かむりに弥造をこしらえて、ふるえながら歩いている影がある。
 ぺたりぺたりと尻切れ草履で、ほこりを立てながら、いかにもひもじそうに歩いて行く奴がある。
 それらの人をまたたくうちに追い越して通っていったのは、建札に足早き者とあった、その早足自慢の男に違いない。耳敏《みみさと》き者とあったその早耳の男も沢山交っているとみえて、歩きながらも内証話をきき出そうと、しきりにニヤニヤやっているのがいくたりか見えました。
 それから世間通《せけんつう》。
 人の顔を見れば他人の悪口蔭口を囁きたそうな憎まれ男。
 かと思うと、ゆうべもどこかのバクチ穴で文無しに叩きハタイてしまったらしいサイコロ好きも数人交って、いずれも一両を目あてに門前のあちらこちらに押し合いながら大変な騒ぎです。
「わはは。いや、参ったな。参ったな。亡者千人何の如きぞ。これが江戸の御繁昌とは恐れ入った繁昌ぶりじゃ。いずれもようこそ参った。早乙女主水之介賞めつかわすぞ」
 しらせをうけて、のっしのっしと門脇に現れると、
「京弥、用意の品、これへ持参せい」
 呼び招いて、小姓袴も相応《ふさわ》しい京弥に運ばせたのは、うず高く三宝に盛られた小判の山でした。五十両? いや正しく二三百両です。江戸前気ッ腑の主水之介にとっては、大した品ではないが、馳せ集った亡者共にとっては容易でない。百の目、六百の目が同時にキラリキラリと怪しく輝きました。
 見眺めて三宝うけとると、眉間傷もろともやおら言ったことです。
「約束じゃ。遣わすぞ。ほら! めいめい勝手に拾って行けい!」
 意外でした。ひとりひとり呼び出して、一枚ずつ手渡しでもするだろうと思われたのに、小判の山を鷲掴みにすると、群がり集《たか》る人山を目がけて、惜しげもなくバラバラと投げ棄てました。――同時です。凄惨と言うか、悲惨というか、浅ましさおぞましさ言いようがない。わッと言う矢声《やごえ》もろ共、犇《ひし》めきわめきながら殺到すると、押しのけはねのけ、揉み合いへし合いながら、われ先にと小判の道へ雪崩《なだ》れかかりました。
 しかし、たった四人だけ、拾おうともしないのがいるのです。あちらにひとり、こちらにひとり、向うに二人、呆然と佇んで、虫けらのようにうごめき争っている人々を見守っている四人の姿が見えるのです。
 早くもそれと知るや、莞爾《かんじ》として退屈男が打ち笑うと、会心そうに命じました。
「浅ましい奴等に用はない。京弥、あの四人の者こそわが意に叶うた者じゃ。早う座敷にあげい」
「………」
「何をぼんやりしておるぞ。ぜひにも二人三人手が要《い》るゆえ、一両を餌《えさ》にして人足共を狩り集めたのじゃ。小判を投げたは早乙女流の人選みよ。欲破り共のうちからせめてもの欲心すくなき者を選み出そうと、わざわざ投げて拾わしてみたのじゃ。あの四人には見どころがある。余の亡者には用がないゆえに早々に追ッ払って、あの者共早う召し連れい」
「いかさま、左様でござりましたか。そうのうてはなりませぬ。御深慮さすがにござります」
 まことにさすがは退屈男、趣向も直参らしく豪奢《ごうしゃ》きわまりない趣向であるが、人の選み方もまた巧みに人情の急所を衝いて、目のつけどころが違うのです。
 やがてのことに座敷へ導かれて来たのは、いずれも一風ありげなその四人でした。
「来たか。来たか。遠慮は要らぬぞ。勝手に膝をくずしてずっと並べ。その方共とてあの建札眺めて参ったからには、小判がほしゅうての事であろうが、なにゆえ拾わざった」
「………」
「怕《こわ》いことはない。念のためにきくのじゃ。遠慮のう言うてみい。さだめし咽喉《のど》から手が出おったろうに、なにゆえ拾わざったぞ」
「あさましいあの有様を眺めましたら、急に情なくなりましたんで、ぼんやりと見ていたんでごぜえます」
「やはりそうであったか。なかなかにうれしい気性の奴等じゃ。そこを見込んでちと頼みたいことがあるゆえ、先ず名をきいておこうぞ。いずれあの建札知って参ったからには、それぞれ得手《えて》がある筈、右の奴は何と申す名前の何が得手じゃ」
「大工の東五郎と申しやす。少しばかり足の早いが自慢でごぜえます」
「ほほうのう。大工ならば足なぞ早うのうても役に立つ筈なのに、人一倍早いと申すか。いや、面白い面白い。次は何じゃ」
「床屋が渡世《とせい》の新吉と申す者でござります。髪床は人の寄り場所、したがって世間のことを少々――」
「なるほど。世間通じゃと申すか。いや、面白いぞ面白いぞ。段々と役者が揃うて参ったわい。三人目は何じゃ」
「鳶《とび》の七五郎と申します。ジャンと来りゃ火の子の中へ飛び出すが商売《しょうべえ》、そのせいか人より少し耳が早うごぜえます」
「ウフフ。面白い面白い。ずんと面白いぞ。お次はどうじゃ」
「あッしばかりはまことに早やどうも――」
「バクチの方か!」
「へえ。相済みませぬ。御名物のお殿様でごぜえますから、直《ちょく》に申しまするが、名前は人好《ひとよ》し長次、まとまった金がころがりこむと、じきにうれしくなって人にバラ撒いちまいますんで、この通り年がら年中文なしのヤクザ野郎でごぜえます」
「わはは。道理でのう。目が細うて、鼻が丸うて、極楽行の相がある。いや、揃うた揃うた。注文通りによくも揃うたわい。早足に早耳に世間通に、世馴れ者のバクチ打ちとはひと狂言打てそうじゃ。何を頼むにしても先立つものはこれであろうゆえ、五両ずつ遣わそうぞ。ほら、この通り五枚ずつじゃ、遠慮のう懐中せい。――いや、苦しゅうない。びっくりせいでもいい。五両の小判で命売れと言うのではない。折入って頼みたいことがあるゆえ遣わしたのじゃ。もじもじせずと早う懐中致せ! ――そうそう。いずれも蔵《しま》うたな。ではそれなる頼み言うて聞かすゆえ、よう聞けよ。と申すはほかでもないが、吉原三ツ扇屋抱えの遊女誰袖と、京橋花園小路糸屋六兵衛の伜源七と申す両名が、同じ日に行方《ゆきがた》知れずとなって、奇態なことに似せ者の死体が大川から揚がったのじゃ。頼みと申すはこのこと、本人同士が何ぞ細工をしたか、それとも恋讐《こいがたき》共がよからぬ企らみ致しおったか、何れに致せすておけぬゆえ、その方共に今からすぐ不審の正体探り出しにいって貰いたいのじゃ。先ず第一は吉原へ参って、誰袖の行状探り出すこと、第二にはうつつぬかして通いつめた色|讐《がたき》共じゃが、対手は三人ある。本石町油屋藤右衛門伜又助なる者がそのひとりということゆえ、こやつの行状探り出すには、油いじりが商売の床屋新吉がよかろうぞ。二人目は浅草大音寺前人入れ稼業新九郎の身内十兵衛と申す奴ゆえ、男達《おとこだて》にバクチ打ちは縁ある仲じゃ。人好し長次がこの方を探ってな。あとのひとりはちと大物ゆえ、残った早足東五郎と早耳七五郎の両名揃うて参るがよい。探り先は二万四千石城持ち、赤坂溜池際に屋敷を頂戴致しおる遠藤主計頭じゃが、大工と鳶なら近よる手段《てだて》もあろうし、よしまた近寄ることが出来ずとも、お抱えお出入りの鳶、大工があろうゆえ、少しく智慧を働かしなば、屋敷の秘密なにくれとのう雑作なく嗅ぎ出せるというものじゃ。床新と人好し長次両名はまたその足で三ツ扇屋へ参り、なにかと詳しゅう探ってな、別して新吉は世事に通じておるが自慢とのことゆえ、人の話、世間の噂、ぬからずに、――のう分ったか! 事は急じゃ。早う行けい!」
「なるほど! 御名物の御殿様ゆえ、只の御酔狂ではあるまいと思いましたが、いや、変ったお頼みでごぜえます。そういうことは大の好き、折角お目鑑《めがね》に叶ったものをヘマしちゃならねえ。じゃ、兄弟《きょ
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング