ござります」
 菊路とのうれしい恋の語らいが漸く済んだか、なぜともなくパッと頬を赤らめながら、倉皇《そうこう》として這入って来たのを眺めると、指さして言いました。
「それをみい」
「何でござります?」
「幽霊が菓子折を届けて参ったのよ。そちも聞いた筈ゆえ覚えがあろう。その名前よくみい」
「……? えッ! なるほど、源七とござりまするな。まさしくあの心中男、ど、どうしたのでござります。どこから誰が持参したのでござります?」
「今の先、青テカ坊主が黙ッておいていったわ」
「なるほど。では、只今のあの按摩《あんま》でござりまするな」
「会うたか!」
「今しがた御門先ですれ違いましてござりまするが、あれならばたしかにめくらでござります」
「わはは。そうか。そうか。目は明いておるが盲目《めくら》であったと申すか。道理で蛤《はまぐり》のような目を致しおったわい。それにしても源七とやらは、とうにもう大川から三|途《ず》の川あたりへ参っている筈じゃ。何の寸志か知らぬが、身共につけ届けするとは不審よのう」
 言っているとき、
「あの、お兄様、またいぶかしい品が届きましてござります」
 声と共に色めき立って姿を見せたのは、妹の菊路です。
「何じゃ。また菓子折か」
「あい。これでござります」
 差出したのを見眺めると同時に、主水之介も京弥も等しくぎょッとなりました。
「御前様へ。吉原三ツ扇屋抱え、誰袖《たがそで》」
 表には、紛れもないあの心中の片われの女の名前が、はっきりと書きしるされてあったからです。
「よくよく不気味なことばかりよのう。取次いだは菊か。そちであったか」
「あい。やさしゅうちいさな声で、ご免下さりませと訪のうた者がござりましたゆえ、出てまいりましたら、式台際に顔の真ッ白い――」
「女か」
「いいえ、女のような男でござります。それも若い町人でござりました。その者がいきなり黙ってこの品を出しまして、殿様に――お兄様によろしゅうと、たったひとこと申したまま、何が怕《こわ》いのやら、消えるように急いで立ち去りましてござります」
「何から何まで解《げ》せぬことばかりじゃ。幽霊なぞがあるべき筈はない。いいや、あッたにしても傷の主水之介、冥土《めいど》から菓子折なぞ受ける覚えはない。まだそこらあたりに姿があるであろう。京弥、追いかけてみい」
「心得ました。菊どの! 鉄扇《てっせん》々々」
 万一の場合を考えて手馴れの鉄扇片手にすると、紫紺絖小姓袴《しこんぬめこしょうばかま》の裾取って、まっしぐらに追いかけました。
 だが、やがてのことに帰って来た姿を見ると、怪訝《けげん》そうに首をかしげているのです。
「見かけざったか」
「ハッ。いかにも不思議でござります。ご存じのように道は、遠山三之進様の御屋敷まで真ッ直ぐに築地《ついぢ》つづき、ほかに曲るところもそれるところもござりませぬのに、皆目《かいもく》姿が見えませぬ。念のためにと存じまして、裏へも廻り、横堀筋をずッと見検べましたが、ひと影はおろか小舟の影もござりませぬ」
「のう! ……。参ったからには足がないという筈はあるまい。ちとこれはまた退屈払いが出来るかな。その菓子、二折とも開けてみい」
 恐る恐る開けて見ると、しかしこれが二つともに見事な品でした。――源七からの贈り物は、桔梗《ききょう》屋の玉だれ。
 誰袖からの品もまた、江戸に名代の雨宮の干菓子です。
「ほほう、いよいよ不審よのう。二品ともにみな主水之介の大好物ばかりじゃ。身共の好物知って贈ったとは、幽霊なかなか話せるぞ。それだけに気にかかる。京弥、何時頃《なんどきごろ》じゃ」
「四ツ少し手前でござります」
「先刻、土左船がたしか京橋花園小路の糸屋だとか申したな」
「はッ。間違いなく手前もそのように聞きましてござります」
「ちと遅いが、すておけぬ。伜がよからぬ死に方したとあっては、定めし寝もやらず、まだ打ち騒いでおるであろう。よい退屈払いじゃ。そちも供するよう乗物支度させい」
 いかさま棄ておけない事でした。心中を遂げた筈の男女から不気味至極な折箱到来とあっては、よい退屈払いどころか、事が穏かでないのです。
 打ち乗ればもう直参千二百石、京弥をつれての道中も悪くないが、乗り心地もまた悪くない。
 町から町は凩《こがらし》ゆえにか大方もう寝しずまって辻番所の油障子にうつる灯が、ぼうと不気味に輝いているばかり……。
「その駕籠待たッしゃい。急いでどこへお行きじゃ」
「身共じゃ。退屈払いに参るのよ。この眉間《みけん》をようみい」
「あッ。傷の御前――いや、早乙女の御前様でござりまするか。御ゆるりと御保養遊ばしませい」
 保養とは言いも言ったり、傷も江戸御免なら退屈払いも今はすでに江戸御免でした。――急ぎに急いで、察しの通りまだカンカンと灯をともしている糸屋六兵衛方の店先へ乗りつけると、これがまたわるくないのです。
「直々《じきじき》の目通り、苦しゅうないぞ。主人《あるじ》はおるか」
「おりますが、只今ちょッと家のうちに取込みがござりますゆえ、出来ますことならのち程にでも――」
「その取込事にかかわる急用で参ったのじゃ。おらば控えさせい」
「失礼ながらどちら様でござります」
 パラリと静かに頭巾をとると、黙ってさしつけたのは名物のあの眉間傷でした。
「あッ、左様でござりましたか。それとも存ぜず失礼致しましてござります。――旦那様! 大旦那様! 早乙女の御殿様がわざわざお越しにござります! 御早くどうぞこれへ!」
 仰天したのは当り前です。あたふたと姿を見せて、物も言えない程に打ちうろたえながらそこへ手をついた六兵衛へ、穏かに言葉をかけました。
「そのように固《かた》くならずともよい。主水之介不審あって罷《まか》り越《こ》したのじゃ。土左船《どざぶね》の者達、こちらへ参った筈じゃが、伜共の死体もう届いたであろうな」
「へえい。と、届きましてござります。半刻程前に御運び下さいましたが、それがちと――」
「いかが致した。生き返ったか!」
「ど、どう仕りまして。伜とは似てもつかぬ全然の人違いなのでござります」
「なにッ。人違いとのう! ほほう、そうか。ちとこれは面白うなって参ったかな。なれども死顔は変るものじゃという話であるぞ」
「よしや変りましても、親の目は誰より確か。年恰好、背恰好はどうやら似ておりまするが、伜はもッと優型《やさがた》でござりました。水死人はむくみが参るものにしても、あのように肥っておりませなんだ筈、親の目に間違いはござりませぬ」
「でも、書置にまさしくその方伜と書いてあったそうじゃが、それは何と致した」
「なにより不審はそのこと。骸《むくろ》は誰が何と申しましょうとも、見ず知らずの他人でござりますのに、どうしたことやら、書置の文字は紛《まぎ》れもなく伜の手蹟《て》でござりますゆえ、手前共もひと方ならず不審に思うているのでござります」
「女の方はどうぞ? 誰袖とやらの骸は、吉原へ送ったか。それともまだこちらにあるか」
「こちらにござります。何が何やらさッぱり合点参りませぬゆえ、庭先に寝かしたままでござりまするが、それもやはり――」
「人違いじゃと申すか!」
「はッ。なにはともかくと存じまして、さそくに人を飛ばし、三ツ扇屋とやらの主人《あるじ》にもお越しを願うたところ、今しがた駈けつけまして打ちしらべましたばかりでござりまするが、やはり似てもつかぬ別人じゃそうにござります」
「のう! ――まことと致さばなにさまいぶかしい。騒ぎのもとと相成ったその伜はいずれじゃ。源七は行方《ゆきがた》知れずにでもなっておるか」
「それが実は心配の種でござります。どうしたことやら、四日程前にぶらりと家を出たきり、行き先も居どころも皆目《かいもく》分りませぬゆえ、もしや不了簡でも起したのではないかと、打ち案じておりましたところへ、人違いの心中者が届きましたゆえ、かように騒ぎが大きくなった次第でござります」
「誰袖もか」
「同じ日の夕方、やはり居のうなっているのじゃそうにござります。そういうお殿様はまた、いったいどうしてここへ?」
「到来物があったからじゃ。行方《ゆきがた》知れずの源七達から菓子折が参ったのよ」
「えッ。ではあの、せ、伜はまだ生きておるのでござりましょうか! どこぞにまだ存生《そんじょう》しておりましょうか!」
「おるかおらぬかそれが謎じゃ。人間二匹居のうなって死体が揚がる、書置の手蹟は本人のものじゃがむくろは別人、死んだ筈のその者共から、選りに選って傷の主水之介に菓子折が到来したとあっては面白いわい面白いわい。いや近項江戸にも珍しい怪談ものじゃ。念のためそれなる死体一見しょうぞ。案内《あない》せい」
 心得て六兵衛が恐懼《きょうく》しながら導いていったところは、ガヤガヤと黒集《くろだか》りになって人々が打ち騒いでいる奥庭先です。同時にそれと知って、サッと遠のいたのを、物静かに近よりながらのぞいてみると、死体は男女とも実に行儀がよい。しごきで結わえたままの身体を新筵《あらむしろ》の上に寝かされて、犇《ひし》と左右から寄り添いながら、男女共にその顔は、何の苦しみもなく少しのもがいたあとも見せず、水死の苦痛はどこにも見えないような安らかさでした。
「はてのう。ちと不審じゃのう京弥」
「何でござります」
「断末魔の苦悶はおろか、水を呑んであがいたような色もない。いぶかしいぞ。灯りをみせい」
 さしつけた灯りと共に、じいッと見眺めると、ふたりとも首筋に変な痕がある。――締めた痕です! 紛れもなく細紐のようなもので締めたらしい、血の黒ずんだ痕が見えるのです。
「ウフフ。わはは」
 途端でした。爆発するような哄笑が退屈男の口にのぼりました。
「ウッフフフ。わッははは。いや、面白いぞ。面白いぞ。水死人に絞め殺した紐痕《ひもあと》が見ゆるとは、愈々怪談ものじゃ。どうやら話が本筋に這入ったわい。――亭主! 亭主!」
「はッ。六兵衛はここに控えてござります」
「いやそちでない。遊女屋の亭主じゃ。誰袖の抱え主《ぬし》が参り合わせておると申したが、いずれじゃ」
「へえへえ。三ツ屋の亭主ならば手前でござります。いつもながら御健勝に渡らせられまして、廓内《くるわない》の者一統悦ばしき儀にござります。近頃は一向イタチの道で、いや、一向五丁町へお越し遊ばされませぬが何か――」
「つべこべ申すな! ここは曲輪《くるわ》でない。そのように世辞使わなくともよいわ。――相尋ぬることがある。偽り言うては相成らんぞ」
「へえへえ、もうほかならぬ御前様でござりますゆえ、偽りはゆめおろか、毛筋程のお世辞も言わぬがこの亭主の自慢でござります。それにつけても御殿様のお姿が見えぬと、曲輪五丁目は闇でござりますゆえ、折々はあちらの方へもちとその、エヘヘヘ、その何でござります。つまりその――」
「控えぬか! それが世辞じゃ。――きけば誰袖も行方《ゆきがた》知れずに相成りおるとのことじゃが、まことであろうな」
「まこともまこと、あれはやつがれ方の金箱《かねばこ》でござりますゆえ、うちのもの共も八方手分けを致しまして、大騒ぎの最中でござります」
「居のうなったは、当家伜の源七と同じ日じゃと申すが、それもまことか」
「不思議なことに、カッキリと日が合いまするゆえ、面妖《めんよう》に思うておりまするのでござります。どうしたことやら、あれが、誰袖がどうも少し気欝《きうつ》のようでござりましたのでな、四五日、向島の寮の方へでもまいって、気保養致したらよかろうと、丁度四日前の夕刻でござりました。婆《やりて》をひとりつけまして送り届けましたところ、ほんの近くまでちょいと用達しにいったそのすきに、もう姿が見えなくなったのでござります」
「ほほうのう。源七との仲はどうぞ! 客であったか。それとも通うたことさえなかったか」
「いえその、実は何でござります。親の六兵衛どんを前にして言いにくいことでござりまするが、両方共にぞっこんという仲でござりましてな、あれこそ本当の真夫《まぶ》――曲輪雀共もこのように申し
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング